2024年12月23日(月)

古希バックパッカー海外放浪記

2018年4月15日

(2017.2.25~4.26 61日間 総費用13万2000円〈航空券含む〉)

インド的混沌の聖地バラナシ

 3月3日。ニューデリーから列車で一昼夜かけてバラナシに移動。バラナシ駅に降り立つと人力車(リキショー)の車夫やらタクシーの運ちゃんやら物売りが殺到してくる。噂に聞いていたバラナシ的混沌と喧騒の世界である。

 バラナシはヒンズー教徒が聖なるガンジス河で沐浴するハイシーズンらしくヒンズー教徒の巡礼家族でごった返している。ガンジス河に沿った丘にホテル、レストラン、ゲストハウス、食堂、屋台、土産物屋が密集している。

 安宿もどこも満室であり軒並み断られたが、一時間近くロバと牛の糞尿とゴミが散乱する風通しの悪い狭い迷路のような路地歩き回った挙句に、ガンジス河を見下ろす高台の五階建ての安宿に辿り着いた。屋上のペントハウス(レンガ造りの小屋である)が眺めが良いので気に入った。オーナーの親爺と談判していたら一週間分前払いで一泊250ルピー(=450円)也となったので即決。

インド的民主主義とは

バラナシの地方選挙の応援演説に群がる群衆

 3月4日。持参したタブレット式パソコンの充電システムの具合がおかしいのでパソコンショップを探してバラナシの町を歩き回った。メインストリートの交差点の一角が騒がしい。
お祭りのようなので近づいてみると選挙カーの周囲に群衆が群がり熱狂状態である。

 地方選挙のようだ。中年の恰幅の良い男性が選挙カーの屋根に仁王立ちして与党系の候補者の応援演説を行っている。ラウドスピーカーから絶叫調の演説が響き渡る。揃いのTシャツを着た支持者の若者が十重二十重に選挙カーの周囲に密集している。

徒党を組んで行進する支持者、ムンムンと熱気が伝わってくる

 その周りに群衆が押し合いへし合いしながら大声で喚いている。大きな交差点は群衆で溢れかえっている。一目見ようと交差点の周囲の柵や電柱にも多数の野次馬がしがみついている。

 折しも対立候補の選挙カーが反対方面から近づいてくる。同様に数百人の男たちが対立候補の選挙カーを取り囲んで歩いてくる。対立候補の選挙カーはダンスミュージックのような景気の良い音楽を大音響で流しながら低速前進している。

 対立候補の選挙カーが交差点に入ってくると、選挙キャンペーンの興奮は沸点に達した。双方の支持者が大声で候補者の名前を連呼しながら巨大な押し競まんじゅう運動が展開された。しかし暴力的な衝突では決してない。あくまで平和的にかつエネルギッシュに二つの集団がぶつかり、そして離れていった。マハトマ・ガンジー以来の非暴力主義が根付いているのであろうか。

 「選挙は祭りである」という言葉を聞いたことがある。主義主張という理念を越えて何か大衆を熱狂させるものが選挙という制度そのものに内在しているのではないかと思った。

ゲストハウスの屋上テラスで練習しているアルゼンチン音楽家のカップル

なぜ旅行者はインドにハマるのか

 3月5日。遅い朝食にマサラ・ドーサを食べて散歩。ラッシーが美味しいらしくいつも行列ができている店に立ち寄った。冷えたラッシーを食べていると韓国女子が入ってきた。彼女はインドに既に5カ月滞在しているという。

 ビザを延長して更に半年くらいはインドを極めたいという。聞くと仕事を辞めて長期旅行をしているとのこと。彼女は満年齢23歳(韓国人は通常数え年を使用するので最初24歳ですと自己紹介した)。大学卒業後2年間企業で働いていたが、毎日の生活に疑問を感じて貯金を全て注ぎ込んで旅に出たと淡々と語った。

パリパリの食感のクレープのような南インド料理のドーサの屋台

 彼女は最初に憧れていたヨーロッパを数カ月間旅行した。確かにヨーロッパ各国は歴史もあり街並みも美しい。人々は規則を守り親切で礼儀正しい。安心して旅行できた。しかし彼女曰く「でも、それだけです。なにか物足りない」と感じたという。

 インドはヨーロッパと対照的で、旅行者にとりハードシップが高いが何かワクワクする魅力を感じてexcitingという。2016年夏に北インドの最北端の村で出会った韓国女性からも全く感想を聞いたことを思い出した。その三十代後半の女性はやはり20代の時に会社を辞めて世界旅行。その後もバイトでお金を貯めては世界各地を旅する生活。数年前に韓国の旅行会社のニューデリー支店の現地採用となって現在デリー在住。休暇と旅行プラン検討を兼ねてインド最北端を旅行していた。

ゲストハウスの屋上テラスから眺めた夕陽に染まるガンジス河

 さらには日本人でも欧米人でもインドにハマっている人間は凡そ同じような見方をしている。私自身はどうかというと若干異なる。インドを極めたいという欲求も持っているが、根源的理由はインドをスキップしたら世界を見たことにならないという理屈である。


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