2024年4月24日(水)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2012年6月11日

 こうして見ると、薄氏が重慶で推進した毛沢東時代の「革命歌謡曲」を歌うキャンペーン(唱紅)の意味も分かってくるだろう。彼は明らかに、資本主義経済を根絶させた上で平等社会建設を唱える、毛沢東時代の政治路線に回帰しようとしていたのである。

薄氏の政治路線に対する総清算

 もちろん野心家の薄氏の「打黒唱紅」には、別の思惑があった。彼は、先述の政治路線を推進することによって、貧富の格差の拡大に不満を持つ民衆からの支持を取り付けたうえで、それを梃(てこ)にして党中央に圧力をかけ、次の党大会における自分の昇進をはかろうとしていた。だが、このような「下剋上」的政治手法は結局党中央指導部から強く警戒され、彼の失脚の種となった。

 そして薄氏の失脚後、党中央から派遣された新しい党書記の張氏の下、いわば「脱薄煕来化」の動きが強力に進められた。薄煕来時代に毎日のように聞こえていた「革命歌」の歌声はぴたりと止んでしまい、「打黒」運動もあっさりと中止された。

 そして、冒頭で紹介した張書記の発言はまさに「脱薄煕来化」の総括であり、薄氏の政治路線に対する総清算でもある。

張徳江発言のもう一つの思惑

 「民営企業家の権益を守ろう」という張氏の発言は、実はもう一つの思惑がある。それがどういうものなのかに関しては、これを「拝聴」した後の一人の民営企業家のコメントを聞けばすぐに分かる。

 張氏の発言を報じた新聞記事の中で、重慶市の東兆長泰投資集団公司会長の郭向東氏はこうコメントした。「今、マクロ経済全体の状況は低迷している。こうした中で、重慶市政府は民営企業の発展に保証を与えたことは実に大きな現実的意義がある」。

経済成長維持が急務

 この聡明な民営企業家は、重慶市政府の足下を実によく見ていて、その思惑をよく理解している。そう、彼の言う通りなのである。


新着記事

»もっと見る