2024年12月23日(月)

したたか者の流儀

2016年10月14日

 その昔、東京株式市場が魅力的だったころ、世界の銀行がこぞって東京で証券業をはじめようとした。欧州大陸では銀行は証券業もやれる。世界一堅固なドイツ銀行(ドイチェバンク)も、我先にと免許を求めた。名の通ったドイツ銀行に証券をつけてそれを狙ったが、銀行と社名に入った証券会社など許されないというのが御当局の判断だった。

 敵も然る者で当時、伊藤銀証券という中堅の会社があったのをめざとく見つけ、今度はドイツ銀証券で申請してきたそうだ。断り切れず念願叶って、しばらくはドイツ銀証券でやっていたと記憶する。1980年代の話だ。

 このドイツ銀行は、明治5年(1872年)に既に横浜に拠点をつくっていたそうで、大波小波を乗り越えて、いまだに存命であるが今回は命運尽きる可能性がある。89年には頭取が暗殺で爆死しているが、その頃から、何かを感じさせていた。

1.4兆円の和解金

 そもそも、フランス銀行とかイタリア銀行といえば、中央銀行だ。一介の市中銀行が、ドイツ銀行と名乗ること自体不思議だ。一時は、中央銀行と同程度の強靱さがあったのも事実だが。この銀行は、現在米国での住宅ローン担保ビジネスでの不正から1.4兆円もの和解金を要求されている。既に株価は年初から5割以上下落して銀行解散価値である一株あたりの帳簿上の純資産の3割となれば退場と同意語であろう。本件は経済紙や外国の新聞では旧聞だが、やっと日本でも町の話題になってきた。

シエナのカンポ広場(iStock)

 銀行業はイタリアで始まった。銀行とはカウンターすなわち、バンコの上で金や書類をやりとりした。日本語のベンチは形状からして語源も一緒だろう。そんなバンコで現存する最古の銀行はモンテ・デイ・パスキ・シエナだそうだ。フィレンツェと争ったシエナも魅力的な町だ。平らではない、すり鉢状の大きな広場は一度みたら忘れられない。その町の銀行がモンテ・デイ・パスキ・シエナだ。こちらも純資産もへったくれもなく株価は年初から85%も下落している。純資産がある程度ないと銀行業が出来ない。赤字が続き、増資も出来なければ退場だ。一般企業なら、退場でも良いが、銀行だと預金者が困ってしまう。

 したがって、我先に金を引き出す取り付け騒ぎが起きる。そんな場合、高金利で金を集めるか、増資をするか、または安心できる他の銀行と合併するしか方法がない。最古の記念物として国家が剥製にして保存するのか、興味は尽きない。シエナにも行きたいし、刻んだトマトをのせたステーキを食べたいが、預金があれば一応下ろしておきたいと思うのが人情だろう。


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