2024年12月23日(月)

足立倫行のプレミアムエッセイ

2017年7月21日

 本年度のアカデミー賞外国語映画賞を受賞したイラン映画『セールスマン』(アスガー・ファルハディー監督)を見に行った。

 トランプ政権がイランなど7カ国に入国制限命令を発したため、監督と主演女優が授賞式をボイコットした曰く付きの作品である。そのせいもあってか、イラン映画には珍しく、観客席は8割方埋まっていた。

アミールフセイン・アシュガリ監督(Rodrigo Reyes Marin/Aflo)

 この半年ほどイラン映画にハマっている。アカデミー賞騒動のせいではなく、純粋に現代の映画として面白いからだ。

 今回の『セールスマン』は、首都の若い夫婦が遭遇した「災難」をイランの伝統的(宗教的)価値観と絡めた心理サスペンス。

 国語教師とその妻が転居して間もなく、夫の留守中に、妻が自宅に侵入した何者かに襲われる。犯人を捕まえたい夫と、事件を表沙汰にしたくない妻。次第に亀裂を深める2人の感情。容疑者は転居先の前の住民だった娼婦の関係者だとわかるが、夫がなおも謎を追い続けると、行く手には意外な事実が……。

 夫が真の犯人と対峙するクライマックスに向かって息もつかせぬドラマが展開する。

 確かに見応えはある。だが、レイプという極端な題材のせいか、あるいは夫婦が劇団員でアーサー・ミラーの名作『セールスマンの死』を上演中というハイブローな構成のせいか、私は同じ監督の作品なら、前のアカデミー賞外国語映画賞の受賞作『別離』(2011年)の方がより優れていると思った。

 『別離』は同じく首都に住む夫婦の話だが、中学1年の娘と認知症の夫の父が重要な役割を果たしており、別の国や社会でも十分通用する現代的な家族の物語と言える。

 冒頭、夫婦は家庭裁判所で離婚申請をするものの却下となる。妻は夫や娘と出国を望むが、夫は父の介護のため出国に反対だからだ。

 妻は実家に帰り、夫は家政婦を雇う。その家政婦にも事情があった。無職で短気な夫の代わりに子連れで働かざるを得ないのだ。

 ある日、雇い主の夫が仕事から戻ると、家政婦は外出中で、しかも老父は両手を縛り付けられベッドから転げ落ちていた。

 夫は激怒し、戻ってきた家政婦の言い分も聞かず突き飛ばす。すると、妊娠中だった家政婦は倒れ、流産してしまうのだ……。

 その後事態は二転三転し、双方が告訴し合うのだが、同時に両家の抱える矛盾と家族一人一人の溝も加速度的に広がって行く。

 細部まで練りに練ったみごとな映画である(作品はベルリン映画祭金熊賞、女性キャストも男性キャストも共に銀熊賞を受賞)。

 ところで、イランでは映画制作は自由ではない。政府による検閲があり、その厳しさは世界ワースト10の第4位(12年)とされる。

 カンヌ・ベネチア・ベルリンの3大映画祭で受賞しながら、イラン国内で作品を上映できないジャファル・パナヒ監督も犠牲者の一人。

 パナヒ監督は作品が上映禁止なだけでなく、映画制作・脚本執筆・海外旅行・インタビューも20年間禁じられており、違反すれば6年間の懲役を科せられる身分だ。

 にもかかわらず、『人生タクシー』では自らタクシー運転手に扮し、乗客を通して情報統制下のテヘランの人間模様をユーモアを込めて活写。この作品で15年のベルリン国際映画祭金熊賞を受賞している。


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