スルメイカが記録的な不漁らしい。
2000年代以降は年間漁獲量が20万〜30万トンだったが、12年は約17万トン、15年は約13万トンに減少。16年はついに10万トンを切り7〜8万トンになる見込みだ。
産地はどこも大打撃を受けており、「イカの町」函館でも、原料不足で「イカ刺し」「イカそうめん」を提供できず、多くの店が開店休業状態とTVニュースが伝えていた。
日本の水産物消費量のベスト3は、サケ、マグロ、スルメイカを中心としたイカ類。イカは一部の国しか食べないので、日本人はイカ「偏愛」国民と言える。
このスルメイカ、私には思い入れがあった。
スルメイカは1年を通じて日本周辺の海で産卵するが、主流となる群は秋から冬にかけて山陰沖や対馬近海、東シナ海で生まれ、対馬暖流(や黒潮)に乗って北上、千島列島まで回遊し、秋以降は産卵のためもっぱら日本海を通って南の海に戻る。この間、1年。
従って日本海側の漁港にはどこもイカ釣り船が停泊している。私の故郷の境港も、何度か生イカの水揚げ量日本一に輝いた。
そこで私は、イカとイカ釣り漁のルポを通じて日本海側の人と風土を描いてみようと思い立ち、1984年から翌年にかけて、長崎県の対馬から北海道礼文島まで往復し、計11回、延べ50日余りイカ釣り漁船に乗った。
その記録が『日本海のイカ』と『イカの魂』で、以後しばらく私は「イカ小父さん」と呼ばれた(85年11月30日付読売新聞夕刊で「イカ釣り船に乗った水産学者」と紹介されたが、もちろん勘違いである)。
今回の不漁の背景を知りたいと思った私は、本物の水産学者の著書を参照することにした。イカ研究の第一人者、北海道大学大学院特任教授の桜井泰憲さんの『イカの不思議 季節の旅人・スルメイカ』(北海道新聞社刊、2015年)である。
桜井さんは、スルメイカ飼育の国内最長記録(82日間)を達成したり、世界初の人工受精に成功したりした世界的研究者だが、近年はスルメイカの資源や漁場の変化と地球温暖化を含めた気候変動の関わりを調査している。
桜井さんによれば、スルメイカは海面水温13度〜23度の海域に生息する。索餌・成長期には13度〜15度の北の海を回遊し、産卵期には19度以上の南の海へと向かう。特に重要なのは、秋・冬生まれ群の産卵場となる日本海南西部から東シナ海にかけての大陸棚や斜面の最適海水温(19・5度〜23度)域の面積。
70年代半ばから80年代末までは日本周辺海域が寒冷期で、マイワシが爆発的に増えスルメイカの資源量は減った。90年代以降は温暖期に転じ、マイワシからカタクチイワシに交替、スルメイカの漁獲は増加した。
しかし前掲書で桜井さんは、2000年以降に「それ以前の40年間に全く見られなかった現象」が起きていると指摘する。秋の高水温により、秋生まれ群の産卵が遅れ、産卵場面積が減少して漁獲量が減り始めたのだ。
津軽海峡西口での来遊の遅れや不漁、イカの小型化はその影響であり、「もしかしたら温暖化の進行に沿った不可逆的変化(後戻りしない変化)なのかもしれません」と。
そうであれば、大変なことである。
イカはサンマと並んで、手頃な値段で購入できる多獲性魚。代表的な「庶民の味」だけに、食卓から消えるとなれば大いに困る。
統計では、世界の海面漁獲量7500万トン前後のうち、イカ類など頭足類は約425万トン(08年)。ただし、頭足類推定量は最低2000万トンから最高3億トン(平均1〜2億トン)と莫大で、まったくの未利用種も多く、「人類を救うタンパク資源」とも期待されるため、将来のことは未定である。
イカ類資源と気候変動についての研究は、まだ「始まったばかり」らしいのだ。