足立倫行のプレミアムエッセイ

2017年7月21日

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 パナヒ監督は作品解説で述べている。

 「映画こそが私の表現であり、人生の意味だ。何者も私が映画を作るのを止めることはできない」

 何やら、小津安二郎、黒澤明、溝口健二、木下恵介、今井正らがしのぎを削った戦後間もない時期の日本映画を彷彿とさせる(いや、それ以上の?)ほとばしる熱気なのだ。

 そんな熱いイラン映画の中で、最近私が見直し、「とんでもない傑作!」と感じたのが、アミールフセイン・アシュガリ監督の『ボーダレス ぼくの船の国境線』(14年)。

 舞台は、イラン・イラク国境の川中で座礁・破損した1隻の大型船。そこで展開される(セリフがあるのが)わずか3人のドラマだ。

 破船には10歳ほどの少年が単身隠れ住んでいる。釣った魚と貝殻の首飾りを船上で加工し、それをイラン側の川辺の万屋に持参、食料などと交換して暮らしているのだ。

 その船へ、イラク側から1人の少年兵が乗り込んでくる。少年は拒否し、抗議するが、ペルシャ語対アラビア語で言葉が通じない。

 少年兵は銃で威嚇しつつ船の中央にロープを張る。半分は自分の居場所というわけだ。

 少年兵は銃砲音の聞こえるイラク側の村と破船を往復していたが、ある日、銃を置いて村へ走り、赤ん坊を抱えて駆け戻ってくる。

 泣き続ける少年兵、泣き続ける赤ん坊。

 何が起こったのか不明だ。けれど、少年も赤ん坊に敵意はない。まして、髪を梳く姿から少年兵が少女だとわかった後は。

 少年は、少女と赤ん坊を自分の居住区に入れる。万屋から粉ミルクと哺乳瓶を買ってくる。少女に女性用の上着をプレゼントする。

 そこへ新たな闖入者。大柄のアメリカ兵だ。だが、少年の機転で彼は監禁状態に。

 飲まず食わずのアメリカ兵は妻と子の写真を眺め、不運を嘆き戦争を呪う(しかし英語なので少年にも少女にも理解できない)。

 やがて、拳銃と水との交換により、アメリカ兵も許され、廃船の中の赤ん坊を中心とした小コミュニティの一員となる。

 戦場の片隅の、国境線上の廃船の中で、お互いに言葉の通じない3人プラス赤ん坊の奇妙なけれど平穏な日常が始まる。まさにボーダレス(国境のない)庶民空間である。

 ところが、次の日……!!

 8年間のイラン・イラク戦争後も戦火との悪縁を断つことができないイランだからこそ生み出せた、神話のような反戦映画だ。

 どんなに禁じられても意思表示をする、赤裸々な表現を封じられても奥深い内容を目指す。最近のイラン映画から学ぶことは多い。

  
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