佐賀県からは女優の浜田百合子が出ている。佐賀市の生まれだが幼時に東京に移った。敗戦の年に東宝に入社。スターとして活躍した時期が戦後まだあまり華やかな映画が作られなかった時期なので、その資質をよく活かせなかったのが残念だが、戦後日本映画のグラマー第1号だった。代表作は五所平之助監督の佳作「面影」(1948年)である。
辻萬長(かずなが)も佐賀市出身である。俳優座養成所で演技を学び新劇の舞台に出るが、映画でも、がっしりした風格を活かして市川崑や新藤兼人など巨匠たちの作品の重要な脇役に起用されている。「わが道」(1974年)「幸福」(1981年)など、いい作品の印象的な役が多い。
白竜(はくりゅう)は現在の伊万里市の出身。在日朝鮮人2世として働きながら民族音楽を学び、ミュージシャンとして認められ映画にも俳優として出演するようになる。とくに北野武監督作品で虚無的で暴力的な男を圧倒的存在感で演じてからは、その種の演技では第一人者と目されるようになった。
古い人では杵島郡六角村(現白石町)出身の香川良介(1896~1987年)が戦前戦後の時代劇の名脇役のひとりである。阪東妻三郎主演の「無法松の一生」(1943年)で少年時代の無法松の父親の役、と言って分かるかな?
戦前の小津安二郎作品の定連出演者のひとりだった横尾泥海男(でかお・1899~1956年)も佐賀県出身だが、幼時に東京に移っている。
監督では神代辰巳(くましろたつみ・1927~95年)が佐賀市出身である。日活がロマンポルノを作るようになって世間から差別的に見られるようになったとき、「一条さゆり・濡れた欲情」(1972年)をはじめとする一連の作品で、この分野なりの芸術的名作があり得ることを証明してみせたのが彼だった。
現役第一線の監督では緒方明が佐賀県の生まれである。育ったのは長崎。大学生の頃、学生映画で注目されていた石井聰亙(現・岳龍)監督が若者たちに呼びかけて「爆裂都市 BURST CITY」(1982年)を作ったのに参加し、映画づくりの道に入った。劇映画の監督第一作は「独立少年合唱団」(2000年)。じつにみずみずしいタッチで学生運動の激しかった時期の青春を都会から遠くはなれた全寮制の高校を舞台にして描いた作品だった。つづく「いつか読書する日」(2004年)は、普通にまじめに働く中年男女の仕事と愛を深い味わいのある映画に仕上げている。
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日本と中国で人形アニメーション映画を確立した持永只仁監督(1919~99年)も佐賀市出身だ。戦争中に長編アニメの佳作「フクちゃんの潜水艦」(1944年)に参加。過労で体をこわし、当時まだ食糧も豊富だった満州に行って満映(満州映画協会)に入り、アニメの仕事をしていたら敗戦になった。戦後、満映は中国共産党のものになったが、このとき彼のアニメの技術が大いに役に立った。共産党支持のアニメ作品が国共内戦期のプロパガンダに役立ち、中華人民共和国成立後は上海に行ってアニメスタジオ設立の指導者になったのである。1952年に帰国、日本でも人形映画の第一人者として珠玉のような作品を多く残している。
女優では松雪泰子が鳥栖市出身である。モデルから女優になり、「フラガール」(2006年)のダンス教師役で注目された。「デトロイト・メタル・シティ」と「容疑者Xの献身」の2本で、2008年の日本アカデミー賞の助演女優賞を受賞。
中越典子は佐賀市出身。「夕凪の街・桜の国」(2007年)「孤高のメス」(2010年)など好感の持てる役で着実に成長している。
村井国夫は生まれは中国の天津で、佐賀市で育った。県立佐賀高校(現佐賀西高校)卒業後上京して俳優座養成所で学んだ。NHKの大河ドラマなどによく出ており、映画では最近は「山桜」(2008年)「虹の橋」(1993年)などがある。(次回は東京都その1)
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