2023年1月31日(火)

ヒットメーカーの舞台裏

2012年6月13日

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池原照雄 (いけはら・てるお)

ジャーナリスト

1950年生まれ。専門紙や全国紙の経済記者として自動車、エネルギー、金融、官庁などを担当。00年からフリーになり幅広い執筆、講演活動を展開。著書に「トヨタVSホンダ」(日刊工業新聞社)、「図解雑学 自動車業界のしくみ」(ナツメ社)など。

 家具、家電、時計などジャンルを問わずにデザインコンテストに応募し、入選を重ねた。落選した場合も、それで終わりとせずに、何が足りなかったかを入選作品と比較しながら分析することで、学びを深めていった。転んでもただでは起きないのだ。

 就職活動では、大半の同級生とは異なる方角に向かった。電子部門ではなく、機械設計を志望したのだ。当然、企業側からは専攻分野でなければと難色を示されたが、最初にOKを出してくれたのが富士フイルムだった。八木が専門外の機械設計をめざしたのは、製品として完成させるには回路設計だけでなく、などを設計する技術の習得が不可欠と考えていたからだ。富士フイルムではレントゲン撮影装置やエコーなど医療機器の設計に携わった。設計のみならず、試作から量産に至るプロセスでは工場にも頻繁に出かけた。品質保証の手法や生産技術なども現場で吸収した。

 起業については入社時に「30歳くらいかな」とおぼろげに考えていたが、少し早く転機が訪れる。ある日、取引先の電子部品商社からシチズン電子製のLEDモジュールを「色を正確に再現するので手術用のライトにどうか」と打診されたのだった。結局、会社としては採用することはなかったものの、八木はこのLEDにいたく感心した。

 休日にアイデアを巡らせていくうちに、デスクライトへの活用に行きついた。プロトタイプを作ってみて、「やれそうだ」と自信を深めた。「失敗しても若いうちならやり直しもできる」と、心は固まった。28歳になる直前の11年1月に退社。4年足らずの会社員生活だったが節約に努め、設立資金と当座の生活費は蓄えておいた。

理想のデザインを実現させた
自動車部品メーカーの技術力

 製品化で一番難航したのは、1本のパイプを曲げ加工する本体だった。委託先を訪ね歩いたが、個人経営というだけで相手にされないこともあり、「起業の現実」に直面した。また、加工が難しいためパイプを分割するべきと指摘するメーカーも多かった。八木も「量産を考えれば、それが正解」と理解する。しかし、1本のパイプでの加工はデザイン上、絶対に譲れない線だった。20社ほど当たるうち、八木の熱意を受け止める企業が見つかった。東京で自動車部品を手掛ける技術力のあるメーカーだった。

 1本のパイプにこだわったのは、使用済みになった際の、リサイクルのしやすさも考慮してのことだった。八木は会社を興す際、(1)デザイン(2)テクノロジー(3)社会貢献を理念に掲げて運営しようと誓った。ストロークでは省エネ性能やリサイクル性に、ささやかながら社会貢献の想いを込めた。八木は、これからも「小さい会社にしかできないことにフォーカスし、社会に一石を投じるようなモノづくりを提案していきたい」と強調する。

 堅固な信念をもって当たれば必ず道は拓ける──これまでの八木の足跡は、そう語りかけてくる。(敬称略)


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