「速く・確かに・一直線に」とばかりに、子どもたちに脇目も振らずに進むことを求め、しかも、それが「子どもたちの幸せにつながる」と信じ切っていないでしょうか。
しかし、Aが示すように、子どもは決して、大人のペースで生きられるものでありません。花の成長を無視し、あまりにも多く水を注ぎ過ぎると根腐れしてしまうように、子どもの教育も同様であることを、決して忘れてはならないし、してはいけない行為でしょう。
それは、哺乳類の中で、人間が1番の未熟児で生まれてくるということからも言えることではないでしょうか。母体で十カ月ほど過ごし、誕生してから20年という、長い長い歳月を経なければ、1人前の大人になれない動物は人間だけです。
「学び」の原点を振り返り、学び続ける
繰り返しになりますが、だからこそ、私たち人間は、「学ぶ」必要があるのです。また、子どもを大人へと導く、「教育者」ともいうべき、我々大人たちも、「学び」の原点を振り返り、学び続けなければならないのだと思います。
私たち大人は、子どもたちにいま、何を教え、何を教えようとしているのでしょうか。学校の勉強の背景にある「根っこ」を改めて問い直す必要がありそうです。
かつてフランスの哲学者・サルトルのパートナーであったボーボワールは、「女は女に生まれない、女になるのだ」と言いました。「女」という言葉を「人間」に置き換えると、こうなります。
「人間は人間に生まれない、人間になるのだ」
この言葉の意味を、我々は今一度自分の行き方を再吟味し噛みしめてみる必要があるといえるではないでしょうか。
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