2025年1月9日(木)

BBC News

2025年1月8日

ローラ・ゴジー、BBCニュース

フランスの極右政治家ジャン=マリー・ル・ペン氏が7日、死去した。96歳だった。

家族によると、ル・ペン氏は7日昼、「愛する人たちに囲まれて」死去した。数週間前から介護施設に入所していたという。

1972年に極右政党「国民戦線」を創設。ホロコースト(独ナチスによるユダヤ人600万人の集団虐殺)を軽視する発言を繰り返し、人種、ジェンダー、移民に関して過激な立場を取り続けた。

2002年大統領選挙では、現職のジャック・シラク氏(故人)との決選投票まで進んだ。

2011年に娘のマリーヌ・ル・ペン氏と国民戦線の党首を交代。マリーヌ氏は党名を「国民連合」に改め、フランスの主要政治勢力の一つへと変えた。

仏メディアによると、マリーヌ氏は訪問先のケニア・ナイロビに到着した直後に父親死去の報に触れ、フランスに引き返したという。

「歴史が判断する」とマクロン大統領

2022年に国民連合の党首を引き継いだジョルダン・バルデラ氏は、ジャン=マリー・ル・ペン氏について、「常にフランスに尽くした」、「(フランスの)アイデンティティーと主権を守った」と述べた。

エマニュエル・マクロン大統領は、ル・ペン氏を「極右の歴史的な人物」と評し、政界での役割は「歴史が判断するだろう」と付け加えた。

極右ナショナリストのエリック・ゼムール氏は、「論争やスキャンダルを超えて」、「フランスに潜む存亡の危機を最初に警告した」人物としてル・ペン氏は記憶されるだろうとXに投稿した。

一方、急進左派「不屈のフランス(LFI)」のジャン=リュック・メランション党首は、死者の尊厳と遺族の悲しみを尊重すべきだからといって、「その行動を批判する権利は失われるものではない。ジャン=マリー・ル・ペンの行動は耐え難いものだ」と発言。

「この人物との闘いは終わった。彼が広めた憎悪、人種差別、イスラム嫌悪、反ユダヤ主義との闘いは続く」とした。

ホロコースト軽視でたびたび有罪に

ル・ペン氏は数十年にわたり、フランスで最も物議を醸す政治家であり続けた。批判的な人々は同氏を極右の偏屈者と非難し、裁判所はその過激な発言に対してたびたび有罪判決を出した。

悪名高い1987年のインタビューでは、ホロコーストを大したことではないと発言。「ガス室が存在しなかったとは言っていない。ただ、個人的に見たことがない」、「この問題を特別に研究したことはないが、第2次世界大戦の歴史における重要な詳細点だと考えている」と述べた。

フランスにはホロコースト否定を禁じる厳格な法律があり、ル・ペン氏は人道に対する罪に異議を唱えたとして有罪とされ、3万ユーロ(約490万円)の罰金を科された。

2012年にも、ナチスによるフランス占領は「ことさら非人道的なものではなかった」と発言し、同じ罪状で有罪判決を受けた。

こうした事情にもかかわらず、ル・ペン氏は強烈な移民排斥政策で有権者を引きつけた。1988年大統領選では14%の票を獲得。1995年にはそれが15%に増え、2002年大統領選では最終ラウンドまで進んだ。

しかし、左右の各政党がそれぞれの支持者にル・ペン氏を支持しないよう呼びかけ、対立候補のシラク氏が得票率82%で勝利した。

2015年にはホロコーストを「ささいなこと」だと再び主張。国民連合から除名された。

このころ、マリーヌ氏との確執は公然のものとなっていた。マリーヌ氏はホロコーストに関する父親の発言を「政治的自殺」だと批判した。

ル・ペン氏はのちに、マリーヌ氏について、「おそらく私を排除することで、体制側に何らかのジェスチャーを示したかったのだろう」とBBCに話した。

(英語記事 French far-right politician Jean-Marie Le Pen dies at 96

提供元:https://www.bbc.com/japanese/articles/cgkxll36xe2o


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