子どもが後者のときには「自分はどう思う?」と声をかけていく。このときに大切なのは“まんまる”の基準を子ども自身が持っていることが前提だ。これは大人でもそうだが、単に「自分はどう思う?」と言われても、基準となるものがない限り「何とも言えない」のである。特に大人と違って、他に応用がきく基準を持たない子どもに判断を尋ねる時には、まずこのことに注意を払う必要がある。つまり、判断をさせるということは基準があってこそできるのであって、単に自分の主観を表現させることとは別物なのだ。
基準の存在が成長意欲を引き出す
では、基準を持たせるといっても、具体的にどうすればいいのだろうか? ここで今一度、学級通信を見てみよう。
実際に先生が描いたまんまるを見て、「すごーい」「きれーい」と目を丸くして驚いていた子どもたち。
“まんまる”が共有のものとなってからさっそく作り始めました。
紙工作では、見通しを持って取り組んでいけるように一つひとつの指示ではなく、作り方を一通り最後まで説明し、取り組ませています。
その中で必ず出てくるのが「わからない」「できない」の言葉です。しかし、“わからないときはどうするか”、たとえば人のを見たり聞いたりしながら解決方法を学ばせていくということもねらいの1つなのです。そのため、こちらとしてもその言葉を待っていたのですが、なんと予想外にもあまり聞こえてこないのです。
“なんで!?”と、私の頭はハテナだらけ。しばらく子どもたちの姿を見ていると、どうやら早く飛ばして遊びたい気持ちが先行し、意識の持続(集中力)が必要とされる糸をピンと張るのも、なんとなくまるが描けていればよしとして切り始めてしまうため、「できない」の言葉もあがらなかったのです。
「うーん? これはまんまる……?」と聞くと、「うんっ!」と満面の笑みで返す、
円ばん作り1日目でした。
円ばん作り2日目の木曜日。朝から円ばんが作りたくてたまらない様子の子どもたち。
「ゆっくりでも丁寧にまんまるの円ばんを作ることが大切だよ」と話し、作り始めさせると……。
「先生、見て。昨日よりもまんまるでしょ」「まんまるに描けないよ」「できないよ」と、前日とは比べようにもならないぐらい“まんまる”を意識している子どもたち。
前日は小さなゆがんだ丸でも「いいの」と言っていた葉の佳ちゃんは何度も何度も鉛筆の跡を消してきれいなまんまるを描こうとし、まんまるは描けるけれども切る際にゆがんでしまっていた和子ちゃん。そして慎重に切っていく楓くんの姿がありました。円ばん作り2日目にして“質”に目が向けられるようになったようです。 鳥1組 学級通信 「おおばこ」より
この記述からもわかるように、まずは “質”に目を向けさせることが第1だ。これには大人のきめ細かく意識的な指導が欠かせない。そして次に、基準を満たすことがどういうことかを体感させることが重要になってくる。この「紙工作」でいえば、まずは「まんまるを描く」ということが第1の関門だ。さらには、それをハサミで「まんまる」に切れることで基準をクリアする。この基準がクリアされてこそ、きれいな円盤がスムーズに飛んでいく喜びを体感することができる。
この一連のプロセスにおいて、先生たちはときにはやさしく、ときには厳しく、基準を満たすことを求めていく。学級通信には以下のようなエピソードが記されている。