2024年11月26日(火)

佐藤悦子 バランス・マネジメント

2010年3月9日

 まず、園に提出する正式な書類にはじまり、毎日の連絡帳などで私の文字を目にする先生に対してあまりにも恥ずかしく、そして失礼だと考えたのです。「これではあまりにも申し訳がない」という気持ちに至り、一念発起した次第で、まだまだ精進の途中ではありますが、今は少なくとも気をつけて書くことができるようになって良かったと思っています。意識しなければ、何も変わりはしないのですから。

見えているものが多い方が断然楽しい

 さらに思いがけない収穫もありました。「字をきれいにしよう」と思ってはじめたペン字でしたけれども、美しい日本語や文字の成り立ちまでも学ぶことができました。

 たとえば、ひらがなというのは古くは女性が恋文をしたためるのに、漢字では男性的なため、女性の気持ちを表すのにふさわしい形が必要だとして発達したのが起源とのこと。だからこそ「美しくて品があって、思わず男性が振り向くような文字でないといけません」とペン字の先生に教えていただきました。そんな話を伺って書く時の心構えも自ずと変わってきます。

 また、私の名前の「悦子」の「悦」の字の「忄」は、左右の点の角度が違います。なぜなら、「忄」とは「心」を表しているので、「心は上がっていないとダメですよね? ですから、後に書く右側の点は先に書いた左側の点に比べ、少し上がりぎみを意識しましょう」というのです。

 本当に感銘を受けるお話の連続で、そういった文字に関するバックグラウンドを意識した上で文字に向き合うと、今まで何度注意されても身につかなかったことがすんなり飲み込めたり、「心は上がっていなきゃね」と、その文字の成り立ちの意味を考えながら書くことは、今まで見えていなかったことを見ることができている満足感が高くて、とても楽しいのです。

 置かれている状況や立場が変わると、しなくてはいけないことが増えて面倒に感じることもあるかもしれません。けれども、だからこそ新しい発見も同時に増えるものなのだと、再認識して新しい目標を掲げて頑張ることの楽しさを改めてわかった貴重な体験です。

本物を見て初めてわかったこと

 最後は、長期的な目標ですが、「お茶」をきちんと習おうと決めました。きっかけは昨年末に京都での正式な茶事にお招きいただいたことでした。そのとき、亭主と正客、次客、話客の会話の端々に、日本をはじめ世界中の歴史や文化、芸術、そして伝統に関する教養をはじめとする莫大な知識と、ウィットとセンスがにじみでていて本当に驚き、感動したのです。 

 茶器、軸、お花をはじめその数時間にわたる茶事を通して貫かれている亭主の美意識と心遣い、またそれを見逃さず、高度な会話で応酬する正客のセンスには、ただただ圧倒され、「本物」を知る・見る・聞くというのは、いかに大切なことかをつくづく考えさせられました。

 私も40歳にもなり、クリエイティブビジネスの世界で、海外のクリエイターやクライアントとおつきあいをしていくことを考えると、自分の国の伝統と文化を心得ていることは、ひとつのマナーとも言うことができると思い、今後の長期的な目標としてお茶の世界を少しでも理解できるようになりたいと考えています。こうして考えてみると、ペン字もお茶も日本文化のものですね。やはりこのグローバル化が進んでいる今だからこそ、自国の文化に通じていることの必要性を改めて感じているのかもしれません。

 来週は、カルチャーの話題の延長で、本やアート、スポーツなどの「私の好きなもの」について少しご紹介させていただけたらと思っています。どうぞよろしくお願いします。  


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