つまり、実際に演じてみることで、物語への理解が深まっていくのである。ただ、実際に演じるといっても、風の谷幼稚園の指導の主眼はあくまでも「その登場人物の心情に想いを巡らせる」ことであり、「演技技術の獲得」が目的ではない。その物語の中で繰り広げられる人間の心の動きを、どれだけ我が事のように感じさせられるかが指導上の大切なポイントだ。
そのため、指導は「劇作り」の時間以外にも及び、登場人物の心情を経験できるようにきめ細かい工夫が行われている。例えば、昔話の「ひもじさ」を表現する場面の指導をご紹介しよう。その演技指導をする日には、先生が母親に子どもの朝ご飯を少なくするように依頼しておく。そして、お弁当の時間を1時間ほど後ろにずらす。すると、子どもたちのお腹はペコペコ。こうして、「お腹がすいてたまらない」という状態とはどのような状態かを体で知った子どもたちは、その感覚を演技に反映していく。さらに、劇を離れたところでは、その感覚は世界のどこかでお腹がすいて辛い思いをしている人の心情を慮る感性につながっていく。
また、子どもたちは奥深い創作民話の登場人物の気持ちに寄り添うことで、人間の複雑な感情の移ろいを感じ取れるようにもなってくる。再び学級通信を見てみよう。
第5番目の場面では、猛烈な台風が入り江の村を襲い、鬼の感情が大きく揺れ、激しく移り変わっていきます。
その時の鬼の気持ちをみんなで考えてみました。
先生:「ケンムンの命の木が倒れそうな時、鬼はどう思うかな。どう言うかな?」
「大丈夫か? 今、助けてやるからな」
「初めてできた友だちなのにぃ! 絶対に助けたいって思う」
「せっかくできた友だちが、またいなくなってしまうという気持ち」
先生:「頑張って助けようとしたけど支えきれなくなった。木が倒れてケンムンが死んじゃった。鬼は?」
「すっごく悲しい」
「また1人になっちゃった、さびしい」
「泣く。返して欲しいって思う」
先生:「そうだよね、自分の大事な人が死んじゃったんだもんね。その後、鬼は“怒りと悲しみに―”って本には書いてあるけど、この怒りは何に対して怒っているんだろう?」
「村人。村人が気味悪がって根っこを切っちゃったから弱っていって、嵐で倒れたから」
「気味悪いっていうだけで木を切って命を奪ったから」
「だから村中を暴れまわった」
ケンムンの身を案じ→失った悲しみ→そして怒りへと気持ちの変化を感じていました。
風2組 学級通信「麦」より
この『島ひきおにとケンムン』のストーリーをご存じない方には恐縮だが、絵本の世界で繰り広げられる実に複雑な心の動きを、年長児クラスの子どもたちは十分理解することができているようだ。
このように登場人物の感情を十分理解し、それを演じた劇がどれほど高いレベルにあるかは想像に難くないだろう。その様子を先生と親の間で交わす“れんらくちょう”から見てみよう。
正直申しまして、『島ひきおにとケンムン』に劇が決まった子どもたちは「へーこいたー」のセリフが言いたくて、ケンムンが人気だったという通信を読んで、少々複雑な思いでいました。いったいこの話の深さを子どもたちがどのように理解するのか、想像ができなかったからです。また、楽しいセリフにひかれている子どもに、ここまで深いものを演じさせる意図が見えなかったというのも本音のところです。ひとつ間違うと、大人の満足に終わってしまわないかというところです。