2024年4月20日(土)

パラアスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2017年7月14日

 さらに、

 「妻のお腹に赤ちゃんもいたので、やってしまった……という思いです。最初に妻の顔を思い出しました。最悪離婚もあり得るかなと思いましたが、死にたいなどとはまったく思いませんでした。事故後、最初の3日間くらいですね、なんで事故になったんだとか、これは夢なんじゃないか、なんて考えましたが、自分がゴミに気づいて、自分で停止ボタンを押して、それで事故が起きてしまったのだから、すべては自分が起こしたことじゃないか。仕方がないと思えるようになりました」

 「そう考えれば死ぬような怪我でもないし、深刻にもならなかったのですが、妻がショックで泣いていたのが辛かったです」

(撮影:筆者)

 伊藤は「この先のことはどうにでもなるから、大丈夫だ」と伝えた。それは自信でもあり、伊藤自身の決意の表れでもあった。

 入院中は時間と体力が有り余り、リハビリ用の自転車を目いっぱい漕いだり、キャッチボールをしたり、とにかく身体を動かしたかった。怪我が治ったら新しい障害者スポーツを始めたいと思い、調べてみるとアンプティサッカーがあるのを知り、地元北海道のチーム「アシルスフィーダ北海道AFC」が見つかった。

 ―アンプティサッカー(切断者のサッカー)とは、事故や病気などによって上肢、下肢の切断障害を持った人たちによって行われるサッカーであり、フィールドプレーヤーは足に障害(主に欠損)を持つ人たちがクラッチ(杖)を軸足としてパスやシュートを放ち、ゴールキーパーは手に障害(主に欠損)を持つ人が、欠損した側の腕以外の全身を使ってゴールを守る競技である。―

 4月に入院し、本来ならリハビリが終わる7月まで入院している予定だったが、「退院したい!退院したい!」というアプローチが功を奏し、5月の初旬に退院を勝ち取った。

 「もし腕ではなく足を切断していたら、ショックの大きさが違っていたかもしれませんね。僕にとっては腕でよかったと思っています。利き腕は右手ですが、箸もすぐに使えるようになりました。だから、あまり障害を負っているとは思っていないんです。左腕一本でなんでもできますしね。ショックを引きずるようなこともありませんでした。意外と僕のような事故に遭った方々もそんな感じじゃないでしょうか。周りの方たちが普段通りに接してくれたこともあって、僕もすぐに元の生活に戻れたのかなと思います」

 退院後、アンプティサッカーチーム「アシルスフィーダ北海道AFC」の練習に参加したことが、その後の人生を激変させる転機となった。

 「その日、たまたま練習の手伝いに来られていた方から、テコンドーをやってみない? と声を掛けていただき、面白そうだと思ったのがキッカケで、自分なりにテコンドーについて調べて全日本テコンドー協会に連絡をしました。ツイッターで(シドニーオリンピックの銅メダリスト)岡本依子さんにも、やりたいのですが、と連絡してみたところ、バシバシ返信がきて(笑)テコンドーを始めることになったのです」


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