2024年12月23日(月)

足立倫行のプレミアムエッセイ

2017年10月28日

 庭に出していた鉢植えのリンドウの花びらがすべて枯れてしまった。

 見渡せば、庭の片隅に咲いていたヒガンバナもとっくに倒れてしまったし、フェンス沿いの白いハギの花もすでに散っている。

 スイセンの葉が伸び始めたこの頃、秋の花の季節は終わりを告げ冬も間近だ。

 この時期はしかし、庭の数少ない果樹が実をつける時でもある。今年は、ユズはさっぱりだが、カキが例年にない豊作だ。

(igaguri_1/iStock)

 我家のカキは甘柿ではなくて渋柿である。

 鳥取県の生家の庭には渋柿の木が1本あって、その実と同じ種類だから、亡父が今の家を建てる時に意図的に植えたものだ。

 ともあれ、子供時代の味覚を半世紀以上経っても変わらず確認できるのは喜ばしい。

 小学校低学年の頃、我家の渋柿の実を管理していたのは80歳前後の曽祖母だった。大半は早々に皮を剥いて干し柿に加工するのだが、時折は樹上に残っている完熟柿を先端の割れた竹竿で小枝ごと折り取って、真っ赤な熟柿を私や弟たちに手渡してくれた。

 これが、実に何とも美味だった!

 トロトロの果肉の中にゼリー状のツルンとした部分があって、スプーン(当時は匙)ですくって頬張ると、まさに至福の甘味。

 近所の友人の家で、甘柿や別種の形の違う渋柿の熟柿を食べさせてもらうこともあったが、「うちのが一番」といつも思った。

 この他に、曽祖母はよく、渋柿の渋抜きをして私たちに食べさせてくれた。

 湯に浸けたのか焼酎に浸けたのか不明だが、たまに渋み(タンニン)が残っている場合があり、子供たちの人気は今一つだった。

 大人になって知ったのは、東アジア原産とされるカキの有力原産地が日本だということ(カキノキの学名ディオスピロス・カキの“カキ”は日本語)と、約1000種あるカキのうち甘柿は20数種で残りは渋柿ということ。そして、渋柿を干し柿にして渋を抜く食べ方は日本の他に中国、韓国、台湾、ベトナムなどにあるが、生の渋柿を渋抜きして常食するのはおそらく日本だけ、という事実だ。

 日本では長い間、柿渋が貴重な資源だった。防水・防腐作用があるため、漁網や釣り糸、傘や団扇に塗布したり、塗装の下地塗りなどに広く使われた。医薬品としても、火傷や虫刺されの塗り薬、脳卒中や高血圧の治療薬などに重宝された。現在でも清酒の清澄剤として全国で利用されている。

 このように渋柿が身近だったからこそ、渋抜き渋柿の生食が一般化したのだろう。

 いずれにしても、秋が深まり我家の渋柿が赤く色づくと、私は食欲をそそられる。

 昨年著者インタビューで出会った植物学者の稲垣栄洋さんによれば、人間が赤い色を見て副交換神経を刺激され思わず食欲が湧いてしまうのは、人類が植物の成長戦略にうまく適応したせいだという(『植物はなぜ動かないのか 弱くて強い植物のはなし』)

 恐竜時代に繁殖したのはマツやスギなどの裸子植物だった。だが中世代白亜紀(約1億4300万年前〜約6500万年前)になると、花をつけ果実を作る被子植物が登場し、裸子植物を北方の地域へ追いやってしまう。

 被子植物が革命的だったのは、花粉散布が風まかせだった裸子植物に対し、花や蜜で昆虫を誘(おび)き寄せ、花粉散布と受精を短期間のうちにより効率的なものにしたこと。そして、胚珠(種子の元)を子房で包んで果実にしたことによって、鳥や動物に果実を食べさせ、種子をより広範囲に拡散させたことである。


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