2024年4月26日(金)

使えない上司・使えない部下

2018年3月14日

 前回と今回は、中央大学教授の磯村和人さん(53歳)を取材した。磯村さんの専門分野は経営学や社会学。現在は専門職大学院(国際会計研究科)で主に戦略、組織変革、リーダーシップなどマネジメントを教える。

(Rawpixel/iStock)

 磯村さんは、1984年に放送されたドラマ「中卒・東大一直線 もう高校はいらない!」(TBS)のモデルとなった家族の一員である。当時、中学校などで行われていた管理教育に抵抗する、磯村家の奮闘を描いたものだ。俳優の菅原文太さんや坂上忍さんが親子役で、敵対する中学校の教師役として長塚京三さんが出演し、大ヒットとなった。

 1970年代半ば~80年代にかけて、特に公立中学校では校内暴力が吹き荒れ、生徒の非行や犯罪が社会問題になっていた。文部省(現文部科学省)は、管理教育を徹底させていた。生徒の髪形や制服、持ち物などまで管理するものだった。教師による体罰も「指導」の名のもと、エスカレートしていた。管理教育のメッカといわれていたのが、愛知県だった。

 豊橋市(愛知県)で英語塾を経営していた磯村さんの父親・懋(つとむ)さん(2003年に67歳で他界)は、管理教育が子どもの正常な学習や学びを妨害すると考えていた。

 磯村さんの兄と磯村さんは父親と話し合ったうえで、私服で公立の中学校に3年間通学した。「制服は、管理教育の象徴」とする父の教えでもあった。中学校は内申書をちらつかせ、制服を着させようとした。2人が制服を着ることは、1日もなかった。

 2人は、高校に進学をしない選択をした。内申書をいわば、人質にして従わせようとした中学校への抵抗でもあった。当時、世間ではあまり知られていなかった大検(文部省認定大学入学資格検定試験)を受験し、1年で合格。その後、兄は1982年に東京大学理科3類(医学部)へ、磯村さんは1983年に京都大学経済学部にそれぞれ現役で入学した。

 前回と今回は、磯村さんに父親の磯村 懋さんについて伺った。「管理教育と闘う父」として世間で知られた親をどのように見るか。中学校との闘争から40年近くがたった今、経営学者として父親や当時の管理教育をどうとらえるか。そこに、本連載のテーマである「使える・使えない人材」のヒントがあるのかもしれない。

 磯村さんの父親は、中学校との闘いや子どもたちへの教育を著書「奇跡の対話教育―高校へ行かないで、東大・京大に合格するまでの記録」(光文社)に書きあげている。

教師が生徒を殴り、生徒が教師を殴る

 ドラマ「中卒・東大一直線 もう高校はいらない!」(TBS)がヒットしたのは多くの人が痛快な気分になったからではないかな、と思います。あの頃の管理教育に疑問を感じながらも、それが学校側にはなかなか言えない。その悶々とした思いをドラマの中の磯田家(モデルは、磯村家)が解き放ってくれると感じた方が多かったのではないでしょうか。

 たとえば、主役である生徒(モデルは、磯村さんの兄)が、教師から頬を殴られると、その場ですかさず、教師の頬を条件反射的に殴り返すシーンがあります。

 あれは実話で、当時、中学2年だった私もその様子を見ていました。卒業式の予行演習をしているとき、全校生徒に起立とおじきを何回かさせることになりました。3年の兄が、尊敬できない教師に対して起立とおじきをしなかったのです。そのことに教師が怒り、殴ったようです。正確に言えば、それ以前から、一部の教師は制服を着ない兄に強い反感を抱き、機会を伺っていたようです。兄としては、そのような尊敬に値しない教師に思うものが前々からおそらくあったのでしょう。

 父が中学校の管理教育と闘うことで、塾へのマイナスの影響はなかったように思います。生徒が減ることはなく、その後も全教室が毎年、満員でした。父が塾をチェーン展開し、いくつもの教室を持ち、社員を雇う立場ならばあのような行動をとることはできなかったかもしれませんね。生徒数などが減ると、経営者は困るでしょう。

 父はひとりで経営できる範囲の中で、いわば私塾という形で運営していました。英語に特化し、リスニングやディクテーションなど実践的な英語を教えることに重きを置いていました。当時としては、英語教育の最先端ですね。

 多くの生徒が英語を好きになり、成績を上げ、希望の高校や大学に入学しました。生徒や保護者の間での「あそこの塾に行けば間違いがない」といった口コミは絶えることがなかったようです。兄や私が中学生の頃は、豊橋市内では保護者や生徒の間で名が知られるほどになっていました。

 生徒には、医師のご子息など比較的、裕福な層が多かったように思います。授業が終わる頃、保護者が車で迎えに来るのですが、塾周辺は渋滞になるときがありました。すでに(前編の記事で)お話したとおり、父はカウンセラーのように保護者や生徒たちの相談に丁寧に応じます。ほとんどの生徒が入塾し、5~6年、長い場合は10年近く籍を置くのです。

 英語1教科で、塾の拡大路線はとらない。その意味で集中戦略です。長く在籍し、磯村塾を口コミなどで宣伝してくれるロイヤル・カスタマーが多数いる。そして、教育に熱心でした。子どもに愛情を持って接していました。生徒にも親にもカリスマ性があったのだろう、と思います。おそらく、塾の経営は安定していたでしょう。父はきちんと考え、足元を固めたうえで、中学校の管理教育と闘っていたのだろう、と思います。


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