「使えない」という言葉には、人をモノとして扱うようなニュアンスがある
当初、父(磯村さんの祖父)が住む家の一角を借りて、教室にして生徒に教えていました。父親(磯村さんの祖父)が名門進学高校の英語教師であり、父も東京外国語大学を卒業していることで、地域ではレピュテーションがあったのかもしれません。 父は塾の経営者としては「使える人」だったのかもしれません。あのドラマの影響もあり、「管理教育と闘う父親」というイメージが強かったのですが、よく考え抜いて計画を練り、行動をとる人でした。半年で大手メーカーを退職し、生まれ育った豊橋市で塾を開業したときもおそらく、準備をきちんとしたうえでの決断だったのではないか、と思います。
塾は当初、多いときには100人を超える生徒がいたようです。学習塾がブームになった頃でもあります。タイミングもよかったのでしょう。わずか5年ほどで、父は市内に一軒家を購入することができたのです。家族を路頭に迷わせないためにも、よく考え、行動に移していたことがわかります。
父が生きていたら、「使えない」という言葉を好意的には受け止めないかもしれません。この言葉の持つニュアンスには、人をモノとして扱うようなものがあるように思います。管理教育にあれほどに抵抗したのは、そこに教師と生徒との心のふれあいがないように感じていたからだと私は思います。
私は自分が「磯村さんは、使える研究者」と言われたら悪い気はしません。むしろ、うれしいです。研究者に限らないことでしょうが、世の中はある意味で、各自のロール(役割)で成り立っています。「使える」という言葉が、その役割に応じた働きをすることならば、すばらしいことだと思うのです。
私はこの言葉に嫌なものを感じるときはあります。たとえば、会社の管理職が部下のことを「あいつは使えない」と言ったとき、その管理職にとって「使えない」ことを意味しているように私には思えるのです。「あなたにとっては使えない部下かもしれませんが、会社にとってはどうなのですか?」と聞きたくなります。そのあたりをすり替えている管理職の方もいるかもしれませんね。つまり、自分の判断をあたかも会社の判断のようにするのです。
父は、自分の考えを使いわけるようなタイプが好きではなかったのです。たとえば、政治家になる前は反対の立場であったのに、政治家になると突然、賛成の側に回る人がいます。あのような人を嫌っていました。中学校で管理教育をする教師たちにも、同じようなものを感じていたのかもしれません。
今、私はあの頃の父の年齢に近くなっていますが、父は「考える」ということをとても大切にしていたのだろうな、とあらためて思います。管理教育が、子どもたちからそのかけがえのないものを奪うことに抵抗をしていたように見えるのです。
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