筑前琵琶奏者の家に生まれた私は、幼い頃から古典文学に親しみ、本を読むのが大好きな女の子でした。けれど、万葉集の面白さを知ったのは20代になってから。宝塚で額田王〔ぬかたのおおきみ〕を演じたことがきっかけでした。
当時の花組は、前年に「ベルサイユのばら」が大ヒットした榛名由梨〔はるなゆり〕さん、安奈淳〔あんなじゅん〕さんのダブルトップ体制。この二大スターを生かす作品として、万葉歌をモチーフに中大兄皇子〔なかのおおえのおうじ〕(天智天皇)、大海人〔おおあまの〕皇子(天武天皇)、額田王の三角関係を描いた「あかねさす紫の花」が上演されたのです。
劇中には幾つか万葉歌が引用されましたが、なかでも忘れられないのが次の歌です。
香具山〔かぐやま〕は 畝火〔うねび〕ををしと 耳梨〔みみなし〕と 相争〔あひあらそ〕ひき 神代〔かみよ〕より かくなるらし いにしへも しかなれこそ うつせみも つまを 争ふらしき
(中大兄皇子 巻1-13)
中大兄皇子は、かつて袖にした額田王が弟の大海人皇子の妃となり美しさを増してゆくと、これを取り上げ自分の妃にしてしまいます。この胸の内を大和三山の妻争いの伝説になぞらえて表したといわれる歌です。
ところが若かった私は、二人の男性の間で揺れる額田王の苦しみが理解できませんでした。なぜ仲良く暮らしていた大海人皇子から強引に召した中大兄皇子にひかれるのか。初恋の人だからなのか、権力への憧れなのか、それとも……舞台の鍵となるところに共感できない。必死で文献を読み、お稽古に励みました。かくて初日の幕が上がり、万葉学者の犬養孝先生がご覧になって、私たちにサイン入りのご著書をプレゼントしてくださいました。本当に懐かしい思い出ですね。