2024年7月23日(火)

WEDGE REPORT

2018年6月29日

鉱山開発から製鉄
輸出まで一手に掌握

  スウェーデンの地を踏んだルイ・ド・イェールは、この機会を最大限利用した。彼は早速リエージュ仕込みの最新の製鉄技術を導入し、鉱山開発にも参画した。グスタフ・アドルフの目論見通りスウェーデンの鉄輸出量は大きく伸び、1615年から1694年にかけ、ストックホルムから輸出される鉄の量は約9倍にも増加している。

  その鉄の輸出を担ったのが、ルイ・ド・イェールだった。現在でも企業による途上国への技術移転が行われているが、彼の場合は自らの技術で一国家の最重要の輸出品目を開拓したばかりか、その貿易まで掌握したのである。ルイ・ド・イェールは、スウェーデン国王お抱えの製鉄技術者であると同時に、高品質なスウェーデン鋼を扱う商人として、商業界におけて本格的に頭角を現していく。

  ルイ・ド・イェールはさらに、スウェーデンの輸出品として鉄とともに重要だった銅の輸出を行うようになった。そのため、彼はオランダのトリップ家を商売上のパートナーとするようになり、1610年代から、銅と鉄をトリップ家に輸出し始めた。

  トリップ家はいわば死の商人であり、1630年代には毎年1000挺以上の鉄製銃器を販売していた。そのため、鉄や銅、武器の貿易相手としてはこの上ない〝お得意様〟であった。ルイ・ド・イェールがトリップ家と手を組むことができたのも、アムステルダムで得たコネクションがあってこそだろう。スウェーデンのルイ・ド・イェールと、オランダのトリップ家の共同事業によって、アムステルダムは武器貿易においてもヨーロッパの中心となり、ヨーロッパ各地に武器が輸出されていった。

  この当時、オランダはスペインからの独立戦争(八十年戦争、1568~1648年)の真っ最中であったが、トリップ家はそのスペインにも武器を売っていた。スペイン軍がオランダ製の武器を使えば、どのような戦術で攻めてくるのか、手の内がわかったからである。そしてトリップ家を中心とするアムステルダムの武器製造業者に原料となる鉄や銅を供給したのがルイ・ド・イェールであった。彼はスウェーデンの鉄工業の発展ばかりではなく、間接的にオランダ独立にも貢献したのである。そしてスペインから独立を勝ち取ったオランダは、オランダ東インド会社を設立し、大航海時代の最中、アジアへと進出、日本へと至る。長崎の出島では日本へオランダ製の武器が輸出されており、徳川家康は大阪の陣においてオランダ製の大砲を利用している。その大砲には、ルイ・ド・イェールがオランダに輸出したスウェーデンの銅が使われていたかもしれない。


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