異国の商人が育てた
鉄鋼の国スウェーデン
スウェーデンからの良質な鉄と銅の供給を背景に、オランダでは急速に武器産業が発達していった。武器貿易商人であるトリップ家は、スペインのみならず、スウェーデン、デンマーク、イングランド、モスクワ、ヴェネツィアにまで武器を売った。そのために、スウェーデンとオランダ間の貿易が増えていき、それを担うルイ・ド・イェールも一大商人となっていった
彼の鉄貿易は乱世によりさらに潤う。ヨーロッパのほとんどの国家が参戦した三十年戦争(1618~48年)の間に、アムステルダムにあったド・イェール家の倉庫は、スウェーデンとオランダのみならず、デンマークやフランスといった他の参戦国にも武器を販売した。ベルギーの一地方の製鉄技術者だったルイ・ド・イェールは、ヨーロッパ各国を股にかけた鉄・銅・武器の総合商人にまで登り詰めたのである。
ベルギー出身であるルイ・ド・イェールはスウェーデン語を話すことができず、スウェーデン議会ではオランダ語で演説したが、それでも彼はスウェーデン人に受け入れられることになった。それは、オランダ語が当時のバルト海地方の共通語であっただけではなく、スウェーデンが鉄と工業の国として発展するにあたり、彼が大きく貢献したことをスウェーデン人が知っていたからであろう。ルイ・ド・イェールが育てた鉄鋼界におけるスウェーデンの覇権は、18世後半紀にロシアやイギリスといった大国に奪われたが、そこから産み落とされた子供たる工業は今でもスウェーデンを支えている。
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