プロ野球の後半戦に入って、日本ハム二軍のスタメンから清宮幸太郎の名前が消えた。イースタン・リーグ後半戦の初戦だった今月16日の楽天戦(鎌ヶ谷)に欠場した清宮は、大事を取って打撃練習も回避。早実の先輩でもある荒木大輔二軍監督は、清宮が右ひじを痛めていることを初めて報道陣に明かし、今後の見通しについてこう語った。
「重傷ではないけど、いままで通りにやっていたら、いろんなところに影響が出る。当分は練習も休ませて様子を見ます」
月並みな表現ながら、高校通算111本塁打の怪物も、やはり人の子だったということである。清宮は二軍の前半戦でリーグ1位の15本塁打を放ったが、最後に左翼を守った今月3日のロッテ戦(浦和)で右ひじの痛みを訴えた。翌4日以降は左翼からDHに回り、キャッチボールや守備練習もせず。同9日のソフトバンク戦(東京ドーム)で一軍に再昇格したものの、試合前のフリー打撃では柵越えが1本もなく、代打で出場した試合もノーヒットに終わった。
それでも、すでに出場の決まっていた今月12日の二軍の球宴・フレッシュオールスター(青森)には予定通り参加。フリー打撃で20スイング中6本の柵越えを打ってスタンドを沸かせ、DHで出場した試合でも全イースタン唯一の得点であるソロ本塁打を放ったあたりは、さすが黄金ルーキーと言うべきか。
しかし、その直後から打撃練習ができなくなったことからして、清宮は球宴でかなりの無理をしていたものと推察できる。それなら最初から出なければよかったのではないかという声も聞こえてきそうだが、現実に豪快なホームランを打っているのだから、一概に本人と首脳陣の判断が間違っていたとも言い切れない。これがスター選手のつらいところであり、扱いの難しいところだ。
清宮のように甲子園で活躍したスラッガーは、さぞや体力もスタミナもずば抜けているに違いない、と一般のファンには思われがちだ。が、実際にプロの選手に交じって動いてみると、まだ身体的に子供の域を出ていないことがはっきりする、というケースが少なくない。そのいい例が、昨夏の甲子園で1大会最多の6本塁打を放ち、ドラフト1位で広陵から広島に入団した清宮の同期生、中村奨成である。
清宮をキャンプから一軍メンバーに入れた日本ハムと違い、広島は中村奨を二軍のキャンプでスタートさせた。広島には例年、日南キャンプ中に二軍にいる話題の新人を、一日限定の研修として一軍キャンプに参加させる慣習がある。日南では一軍と二軍の練習場所が近く、格好の話題作りになるからだ。昨年も甲子園で人気を集めたドラフト2位の高橋昂也を一日だけ一軍のブルペンで投球練習をさせ、松田元オーナーと緒方孝市監督がそろって視察。マスコミ各社にとって持ってこいのネタになった。
しかし、中村奨はキャンプ中、一度も一軍に呼ばれていない。その理由について、一軍の高信二ヘッドコーチ、水本勝巳二軍監督は口をそろえてこう話している。
「自主トレで見た限りでは、まだまだ身体ができていない。一軍の選手のそばにいると、とくに地力や体格の差がよくわかる。だから、日南で一軍に呼ぶのはまだ早いと判断した」
中村奨が務める捕手は、9つの守備位置の中で最も身体への負担が大きいポジションだ。両膝や足腰に加え、送球に使う肩やひじも痛めやすい。だからだろう、首脳陣は開幕後も中村奨を一軍に上げず、二軍で様々な打順で起用しながら、将来の適性を見極めようとしている。そこに、揺るがぬ広島の育成方針がうかがえる。