樹木希林は1943年、神田の生まれ。新劇の文学座で悠木千帆という芸名で活躍していたが、この芸名をテレビのチャリティーショーでオークションにかけて売って現在の奇抜な芸名となった。芸風も大胆不敵な突飛さで目立ったが、次第に円熟して「わが母の記」(2012年)などではまことに渋い名演である。
岸田今日子(~2006年)は1930年、杉並区の生まれ。文学座の指導的な作家、演出家だった岸田国士の娘であり、やはりこの文学座で演技を学んだ。理知的でとてもスマートな持ち味があって、舞台でも映画でもいい役が多かった。映画では「砂の女」(1964年)が有名だが、同性愛者を熱っぽく演じた「卍」(1964年)を忘れてはならない。
北林谷栄(~2010年)は1911年、京橋区竹川町の生まれ。戦前の左翼的な新劇の出身だが、まだ30代の頃に70歳代のお婆さん役を演じて評判になり、以後、老け役が目立つ。なかでも「キクとイサム」(1959年)の混血児の孫たちを育てるお婆さんが素晴らしい。
久我美子は1931年、牛込区の生まれ。生家は公卿貴族で父親は公爵。戦後に東宝の第一期ニューフェース募集に応募して女優になった。その育ちの良さを示す品の良さで順調にスターになる。反戦的恋愛映画の名作「また逢う日まで」(1950年)の岡田英治とのガラス越しのキスシーンは日本映画史上の不滅の名場面である。
倍賞千恵子は1941年、豊島区西巣鴨の生まれ。松竹音楽舞踊学校から松竹歌劇団を出てステージのショーで活躍しているところをスカウトされて松竹映画の庶民的でまじめな女性の役をもっぱら演じ、それがついに「男はつらいよ」シリーズ(1969年~)の寅さんの妹さくらに実を結んだ。愚かな兄をあくまでも見守りぬく心の温かい妹。これも寅さん同様、不滅だ。
原田美枝子は1958年、豊島区大塚の出身。家は印刷業だった。中学生の頃から映画に出たいと思い、オーディションに出たりした。15歳で家城巳代治監督の「恋は緑の風の中」(1974年)という、中学生の性意識をまじめに追究した作品でデビューし、ものおじしない大胆な演技で認められた。10代の作品では「大地の子守歌」(1976年)が目をみはるような力演だった。以後順調に伸びて、品のいい主婦役などの好演が多い。