東京はただ人口が多いばかりでなく文化的刺激も多く、芸能界への入口のようなところも目の前にたくさんあるので、俳優になる人も圧倒的に多い。
発売元:セディックインターナショナル/講談社
販売元:アミューズソフト
税込価格:3990円
コピーライト(C)2011映画「一命」製作委員会
早い話、歌舞伎の名門の俳優はほとんどが東京に住んでいるから、その家柄で舞台で名が出て映画にも出るようになった人たちはみんな東京出身である。かつて東映時代劇の中心的な存在だった萬屋錦之介(1932~97年)。その弟で上手い脇役になった中村嘉葎雄。錦之介の甥にあたる中村獅童。風格の大きな侍では絶品だった先代の松本幸四郎(1910~82年)と、その息子で若い頃は市川染五郎の今の松本幸四郎。彼らの場合は映画でも名演が多く、舞台が本業として別格扱いするわけにはゆかない。三代目市川猿之助の息子の香川照之の場合はテレビや映画で名をなしたうえで改めて歌舞伎でデビューするという例外的なケースである。名門市川家の御曹司として舞台でもてはやされた市川海老蔵は映画でも「一命」(2011年)など、いい役で大々的に売り出されることになったが、ちやほやされすぎたせいかスキャンダルでちょっとつまづいた。
若山富三郎(1929~92年)と勝新太郎(1931~97年)の兄弟は役者の家ではないが歌舞伎とは縁の深い長唄と三味線の深川に家のあった名門の出である。弟の勝新太郎はだから名優六代目菊五郎(1885~1949年)の舞台を幼い頃毎日舞台の袖から見ていてその演技を記憶していて、それが後年、おおいに役に立ったようである。それで勝新太郎は自分くらい純粋に江戸っ子らしい人間はいないと自負していたのだが、ただひとつ残念なのは、昔の風習で母親が自分を生むときだけ千葉の実家にもどっていたことだという。
おなじ歌舞伎出身でも名門の世襲で固めている主流に叛旗をひるがえして戦前に前進座という劇団を作って、「河内山宗俊」その他の時代劇の名作を出した前進座という劇団がある。このグループは戦後、吉祥寺に劇場を建て、生活も一緒にした。河原崎長一郎(1939~2003年)、松山英太郎(1942~91年)、中村梅之助、女優の岩下志麻などはその創設グループの二世たちである。