2024年12月23日(月)

ベテラン経済記者の眼

2014年2月10日

 難産の末、2月初旬までに経団連の会長・副会長人事が発表された。中でも4年に1度巡ってくる今回の経団連会長人事はこれまでになく難航した。筆者もかつて経団連の会長人事の取材を経験したことがあるが、今回ほどわかりにくい展開はなかった。また、最近は毎回のように人事取材が難しくなっている。

 なぜか。経団連会長の「地位」がこのところ低下しているからだ。そもそもなり手がいないうえに、数少ない「本命」と目される人に限って固辞する。いきおい明確な候補が絞れなくなってくる。今回もそうした中で暗中模索のような取材が行われた。

報道を主導した日経新聞

 取材合戦を制し、報道を主導したのは日本経済新聞だった。1月9日付の夕刊で、元副会長の東レの榊原定征会長を起用する方向で最終調整していると特報した。経団連OBから起用するという異例の人事だった。最終盤まで誰がなるのかわからなかった中での人事の特ダネで、経済専門紙の意地を見せたという印象だ。特ダネの経緯というのは本来、取材の当事者しかわからないものだが、榊原氏の名前を首相官邸に報告が上げたタイミングで情報をつかんだのではないかという見方がされているようだ。新聞各紙はその後、翌日の朝刊で大きく後追いした。

 今回の人事は「副会長の中から、かつ、現役の経営者から選ぶ」といったこれまでの経団連会長人事の「セオリー」からいえば正に異例の人事だ。1月10日の産経新聞は「苦肉の人選、手腕未知数、異例の副会長OB起用」と表現した。

 そもそも今回の人事の迷走は、本命と目された日立製作所の川村隆会長が固辞したのが発端だった。「大本命」と衆目の一致をみていた中で、本人にやる気がなく、様々な関係者の要請を固辞したからだ。こうなると人選は難しくなってくる。臆測も含めていろいろな人の名前があがったが、決定打はなかった。1月10日の朝日新聞は「住友化学出身の米倉弘昌会長が頼ったのは、同じ業界の経団連OBだった」と指摘。さらに「次を担える人材を育ててこなかったのが、人選が難航した最大の原因」とする経団連幹部の指摘も紹介した。この日の読売新聞も決定にいたるまでの経緯をふりかえっていた。


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