「『ぐわん、ぐわん、ぐわああん』と、まるで洗濯機で回されたように横に強く引っ張られ、立っていられませんでした」
令和8年熊本地震が発生した当時、あおば病院(熊本県宇城市)で勤務していた藤本亜伊さんは、当時の様子をこう表現した。自宅のマンションは全壊し、娘も地震直後にそのマンションから落下してきた鉄骨に巻き込まれかけたという。
「今後を考えると憂鬱ですが、笑って生きていくしかありません」
患者に明るく接する藤本さんの笑顔と、その言葉のギャップが強く印象に残っている。
9月中旬、小誌取材班は地震で被害を受けた宇城市、八代市へと向かった。そこには、日本が今もなお抱える地震対応の課題と共に、被災の現実と向き合いながらも、歩みを止めない人々の姿があった──。
この夏、熊本では40度を観測するような厳しい暑さが続いた。被災者を特に苦しめたのが「水」の問題だ。八代市在住の永吉良輔さんは、当時の出来事をこう話す。
「自宅は無事でしたが、断水して水が出ている場所を明け方まで探しました。お風呂に入れず、ペットボトルの水を外に置いて温め、シャワーのように使用したこともあります」
八代市では、8月25日に解消されるまで約2万5000戸で断水が発生した。上下水道工事などを行う金剛設備工業(八代市)代表取締役の熊川裕規さんは、八代市特有の事情をこう説明する。
「干拓地である八代平野は、球磨川の恩恵を受け、市内の48%が井戸水を生活用水として使用しています。今回、約4400世帯で被害が出ましたが、井戸を掘る業者が八代市内には3社しかなく、上水道と比較すると人手不足の問題が深刻です」
被災者を苦しめているのは、日々の暮らしだけではない。地震は、その土地で長年築いてきた「生業」まで一瞬にして奪ってしまう。
メダカ専門店・虹屋(宇城市)を営む園田幹彦さんによると、地震により約1万5000匹いたメダカが、300匹まで減ったという。
「10年前も被災し、熊本市で営んでいた書店が廃業に追い込まれました。その後、私の趣味だった魚の飼育で心機一転、息子が事業を始めたんです。ようやく軌道に乗ってきたところでまた地震に遭いました。10年前は立ち直れたけど、今回は……。でも、次の一手を考えています」
宇城市豊野町で唯一の病院だった狩場医院も被害を受け、8月末に72年の歴史に幕を閉じた。院長の狩場岳夫さんは複雑な思いを口にする。
「数十秒で全てが壊れてしまい、『色即是空』という言葉が頭に浮かびました。病院は閉じますが、私が守らないといけないのは患者さんの命。9月から別の病院で働いています」
日奈久温泉の旅館・金波楼(八代市)も、国の登録有形文化財である建物が大きく損傷。さらには、日奈久温泉の組合で管理する配管や温泉も被害に遭い、生命線である温泉も止まってしまった。四代目館主の松本啓佑さんは窮状をこう語る。
「地震以降、観光客がほとんどいなくなった。復旧のために借り入れも必要ですが、10年前に被災した時に借りたお金も返済できていない。一度は廃業を考えましたが、国の支援を受けたり、クラウドファンディングを立ち上げたりと、今はどうすれば再開できるのかを考えています」
