さらに、宗家の当主ならではの思い出を、もうひとつ語ってくれた。
徳川宗家には、数多くの美術品や歴史的資料が伝来している。そのなかに、茶道具の名品として知られる「初花」という銘をもつ、重要文化財の茶入れがある。かつては足利将軍家が所有し、その後、織田信長、豊臣秀吉、そして徳川家康と天下人の手を渡ったものだ。高さ8.8センチほどの小振りな陶器が、戦乱の世をくぐり抜けただけでも奇跡的であり、その価値は国宝と同等とされる。
伝来の宝物類は、今でこそ徳川記念財団を設立し、組織的に研究・管理している。しかし、かつてはほとんどの品が徳川さんの「個人蔵」だった。そのため遠くの博物館に出品を依頼されたときは、徳川さん自らが持参することも珍しくなかった。
「『初花』のような繊細な焼き物は、他人に任すわけにいきませんから、私が運ぶしかなかった。どうしても都合がつかないときでも、家内にはお願いしましたが、他人にゆだねはしませんでした」。そして「実は、新幹線で『初花』を運んだこともありますよ」と、驚くべき事実を披露した。
新幹線で宝物を運ぶときは、グリーン車を2席とるのが基本。一つは自分で座り、もう一つに宝物を置くからだ。盗まれることよりも、振動で傷つくのが怖いので、箱を丁寧に養生するのが肝要だった。
「今はもう、自分で運んだりはしません。運送業者の美術専用車に任せます」
徳川さんが会社をやめて10年以上たつが、現在もいくつかの団体の名誉職についている。徳川家関連の行事や財団の仕事も入るので、相変わらず頻繁に新幹線を利用している。やはり徳川氏の故地のひとつ、静岡での用事が多いという。
「静岡駅で列車が着くのを待っていると、『のぞみ』が短い間隔で通り過ぎていくでしょ。あれを見るたびに、感心するんですよ。時速200キロ以上で走る列車を、一日にあれだけの本数を走らせるのは、他国ではなかなか真似できないんではないですかね。日本の誇るべき技術でしょう。天候に左右されやすい海運会社で働いていたからかもしれませんが、あのスピード感と緻密さには、圧倒されます」
新幹線で座る席は、基本的に富士山が見える側と決めている。飛行機であれ、列車であれ、乗り物を利用するときは、外の景色を見るのが好きだというのが理由だ。窓外の風景から、時代の変化を感じとっている。
「郊外にまで次々と施設ができる一方で、山の緑を見ると、日本にはまだ多くの自然が残されているものだ、としみじみ思います。11年前に今日の日本文化の原点である江戸時代の研究のお役にたてるよう、財団を設立しましたが、日本のいいところは守っていきたいですね」
新幹線と富士山。これもまた明日に伝えたい風景であるのは間違いない。
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