長兄は、師範学校に進み、戦時中に小学校の先生となりました。戦後、15年経ち、私が19、20歳のとき両親は相次いで亡くなりましたが、長兄はまさに私の親代わりとなって、私を大学に通わせてくれました。そして、もうすでに長兄は亡くなりましたが、いまでも多くの教え子たちに慕われる、素晴らしい教育者になりました。私からみても、長兄は、私がその弟であることが信じられないほど、圧倒的な人格者でした。
そんな長兄は、色紙大の一枚の白い厚紙を、子どものころ貧乏であったことを思い出して、よく引き出しから取り出して眺めていました。その厚紙には、長兄自身の筆で「家族」と書いてありました。
長兄は、「家族をしっかり育むことが自分の願いで、それさえできれば自分は幸せだ」と、10代のころから、思っていたそうです。
生活が苦しかった子ども時代を経て、「人間にはなんでこんな不平等があるのか」、「貧乏にはなりたくない」。そう考えていた長兄は、何冊もの哲学書を読み耽るような青年に育ちました。
幸せな家族を夢見て、それを必ず実現(約束の実行)しようと、自分自身に「約束」しました。その現れが、あの一枚の厚紙だったのだと思います。長兄夫婦には子どもはいませんでした。子育てをした経験がないのに、素晴らしい、素晴らしい教育者になれた背景には、自分自身との「麗しい約束」があったのだと思います。
「約束」=「中身」×「時間」
私は「約束」=「中身」×「時間」だと考えています。
つまり、「約束」は、どういう内容かも大事ですが(それも抽象的な単なる言葉ではなくて具体的な中身が大事です)、さらに、いつまでにその「約束」を果たすのかという概念が欠かせないと思います。特に、社会人の「約束」はそうです。抽象的な中身であったり、いつまでにやるのかわからなかったりする「約束」は、社会人の「約束」とは言えません。
私は、経理・財務一筋38年のビジネスパーソン人生を送ってきましたが、経理・財務において、もっとも大切なのは、「金額」=「数量」×「単価」という考え方を完全に身につけることでした。たとえば1億円の売上をあげよう、という考え方では甘いということです。「1トン当たりの単価が1円の商品を、1億トン売る」、というところまで、いつも落とし込んで考えることができなければ、一人前のビジネスパーソンとは言えない、ということを叩き込まれてきました。
(もうひとつ、経理・財務マンとして、30歳年上の小田切新太郎会長・社長(当時)に叩き込まれたのが、財テクは一切やらない、ということでした。私はこれに忠実に従い、バブル崩壊でも会社の財産に1円の損害ももたらさずに済みましたが、この教えに素直に従うことができたのは、“父の投機の失敗で生活が苦しくなり、一切そういうには手をつけないと自分自身に「約束」した母や兄弟の思い”が、DNAのようになって私につながっていたからだと思います)。