事故は父といっしょに仕事がしたいと専門学校を辞めた直後に起きた。
「頭も強く打ちましたが、首をボキッと。僕は助手席に乗っていたのですが、ガードレールの切れ目みたいなところに助手席側から突っ込んで、抉り取られたような感じですね、助手席側が」
最初は少しだけ上半身が動いたが、下半身の感覚は無くなっていた。無傷だった後部座席の友人が山口を助け出そうとして、『救急車が来るまで動かさないでくれ』と言った冒頭の述懐がその際のものである。
感覚的に感じた死の危険
山口は感覚的に「死」の危険を感じたようだ。救急車が到着したことまではギリギリ記憶に残っている。
「病院についてからは麻酔で錯乱状態というか、周りの声は聞こえたのですが、ぼうっとしていて何も考えられない状態だったので内容はほとんど覚えていません。入院中本当に辛かったことは、事故の影響で嚥下能力(食べ物を飲み込む力)が落ちてしまって、1年近くも物が食べられず、自分で水さえも飲めない生活が続いたことです。胃に直接穴を開けましたし、あとは点滴で栄養を送り込むような状態です。体重は30キロまで落ちてしまって、あの頃は骨と皮だけみたいになってしまいました」
生きるための栄養素は足りていた。しかし、活力が生まれなかった。その当時はベッドの上に横になっているか、かろうじて座っているか、それがやっとだ。
「水も食べ物もダメっていうのは、凄いストレスで気が狂いそうになってくるんですよ。テレビで食べ物の映像を見るのも嫌だったですし、食事の時間になると匂いがしてくるじゃないですか。それも辛かったですね」
そんな状態ではリハビリを始めることができなかった。生きようとする気力だけが山口を支えていたのかもしれない。そんな生活が変わっていくのは物が食べられるようになってからだ。けれど、指が動かないために箸が使えない。フォークもどうやって持てばいいのかわからず、思うようにならない辛さに絶望した時期もあった。
それでも口から食べることができるようになってからは精神的にタフになっていった。箸やフォークが使えなければそれでもいい、これが現実なのだから。ここから這い上がっていくだけだと腹を括ったら気持ちが楽になった。
「食べられるようになってから急激に回復が早くなっていくんです。体の変化よりも心の変化でしょうね。人間にとっていかに食べることが大切かということです。それから3、4か月経って転院したのですが、どんどん元気になりましたし回復していきました。あんなに辛い経験は2度としたくないですね」