「4人で1個のものをつくるんだから、頭は4個もいらないよ!」
「これじゃあ他のグループがつくれないじゃないか!」
と言って、余分な木片を返しに行く子どもが現れる。つまり「みんなでつくるということがどういうことか」を先生に教わらなくても直感的に理解しているのだ。(実際に、毎年3人から4人に1人の割合で、このような考え方のできる子どもが現れるという)
しかし、中にはリーダーが現れないグループもある。ここでようやく先生の出番となる。
「一緒につくるんだよね。1人で1個つくるってことじゃないよね。4人で1個つくるってことは、頭は何個あればいいのかな?」
こうして、先生に促されしぶしぶと自分が集めた木片を返して、準備は完了。ようやく骨組みをつくるための釘打ちに移る。ここでは前回紹介したように、かなづちは敢えて1グループ2個しか用意されていない。「私が打つ」「僕が打つ」という積極的な子どももいれば、「打ちたい」という気持ちを秘めながらも口に出せないで見ている子どももいる。また、かなづちを打つ順番でないときには持ち場を離れて遊びに行ってしまう子どももいて、まだ状況は混沌としている。(密着レポート第13回参照)
そこで、先生が「みんなの動物だからみんなでつくろうよ」「やりたいって気持ちを口に出して伝えられるといいんだけどな」と声をかけていく中で、子どもたちに大きな変化が現れはじめる。
まず、釘を打つことを経験した子どもは、自分1人で打ったのでは木片が動いてうまく釘が打てないことを知る。すると、他の子どもが釘を打っている間、木片を押さえて釘を打ちやすくしてやろうとする。さらに、かなづちの順番ではないときでも「何かやらなきゃ」という思いから、釘を打つ人に「釘を渡す」という仕事を自分で見つけ出し、実行する子どももいる。つまり、子どもたちは実際に手足を動かす中で、仕事の全体像を直感的に察知し、グループの中で「今、自分が何をすべきか」を考えて行動するようになっていくのである。こうして、1人の力では手に負えないサイズの動物の骨組みが出来上がり、肉付け(紙粘土付け)へと進んでいくことになる。
行動を共にしてこそ
本当のコミュニケーションができる
さて、この紙粘土を使って動物の肉付けをしていく過程では、過去にこんなエピソードがあった。
きりんを作っている紗耶・咲也香・颯・優空グループ。優空くんがお休みのため、3人で作業を進めます。
「先生、出来たぁ!」
うれしそうに私のところへ駆け寄ってくる紗耶・咲也香ちゃん。しかし、どうぶつの傍らには何かを言いたそうな颯くんの姿が。
「どれどれ? ……どうした? 颯くん」
すると一言。