2024年12月23日(月)

したたか者の流儀

2016年10月29日

 尾篭(びろう)な話で恐縮だが、重要なので聞いてほしい。フランスではいわゆるグランゼコールがいいという話が日本でも広がって歴史のある国立大学を下に見る風潮がある。しかし、その歴史や重要度は計り知れない。その中で、日本でいえば旧帝大に当たる、歴史のある大学でトイレに入った。ホテルにあった日刊紙フィガロをゆっくり読もうと思ったのだ。

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 普段そのようなことはしないが、旅先の恥はかき捨てとばかりにトイレにはいって魂消た。スカートを直しながら妙齢女性がキャビンから出て来たのだ。一瞬、我を忘れた。確かにトイレの入り口には男性女性の絵があった。普通はそののちに男女にわかれることになる。この大学では、大便所と小便器と手洗い場が同じ空間にあるのだ。戸惑いというより、悲鳴をあげたくなった。新聞はカバンにしまい、そそくさと用を足して汗を拭きながら外に出たが理由がわかった。LGBT対策なのだ。一割弱の比率で存在するジェンダー問題に正しく向かい合うとこうなる。さすがにフランスの東北大学だ。一般企業でもそのような傾向になってゆくことであろう。美しい部下の隣で、新聞を読みながら用を足すことはできない。

 トラムや電車の中でも新聞を読む人が少なくなった。三両編成の大型トラムで新聞を読んでいる人を終に見ることはなかった。朝刊が一部250円とか300円であったら購読をするだろうか。一部160円の日経新聞でも、図書館で取り合いなのをご存じであろうか。現在フランスの代表的全国紙のルモンドは一部2.4ユーロ、フィガロは2.2ユーロが販売値段だ。300円弱となる。トイレで落ち着いて読めなくなったからではなく、値段が高いから買わないのだ。

 15年ほど前、産経新聞の夕刊が消えた。業界には賞賛と期待と不安の声があったようだ。全国紙は大都市で朝刊を主体としながらも、夕刊を発行している。産経の場合、廃止したのは勇断とされた。朝夕刊があっての一流全国紙という不文律があったからだ。赤字には勝てない。

 昨今は、夕刊どころか一流日刊紙もサウナやホテルに百部単位でおいてある。週末の新聞販売店には、トラックが横付けされて一週間分の売れ残り新聞が積み込まれるのが目に浮かぶ。日刊全国紙が100万部単位で販売数が減っているようだ。

 テレビを見なくなったのでテレビ番組欄は不要で新聞は取らないというジョークがあったが、最近はジョークに聞こえない。本当に新聞もテレビも、なくて用が足りる。それ以外のメディアがむしろ面白いし示唆に富んでいることを感じている。


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