見えていないものが、まだまだある
コンテンポラリーアートは、中には巨大な物体が意味不明に置いてあるだけに見えるものなどもあり、ぱっと見だけではわかりにくいものも多々。昔は難解に感じて正直、苦手に思っていました。ところが今から15年ぐらい前、佐藤に「本当にいいものを、いいタイミングで、ちゃんとした解説付きで見ていないからだよ」と言われ、NYに「センセーション」というダミアン・ハースト、チャップマン・ブラザーズをはじめとする(当時の)ヤングブリティッシュアーティストの展覧会を観に行きました。そこで衝撃を受けて世界観が一変したのです。その表現のバックグラウンドにあるものを佐藤が解説してくれ、これはどういうアートのコンテクストのなかでの新しい表現なのかということがわかると、びっくり仰天するほどおもしろいのです。自分には見えていないものが本当にたくさんあって、表現の奥にはそういった深いものがたくさんあるのだ、そして表現は自由なのだということも学ばされました。
なかでも鮮烈なインパクトを与えてくれた作品は、ロンドンの「サーチコレクション」で出会った『20:50』という作品です。広い部屋の床から天井までの半分くらいの高さのオイルの池になっていて、油面ぎりぎりのところに部屋の中央まで細い橋が渡してあり、鑑賞者はその橋を渡ります。観る前は、橋の下にあるものがオイルとは知らされていません。ただとてもドヨンと重厚感のある何かが部屋中に満ちていて、一種異様な空気が漂っています。けれども、窓からの日差しによって、床にうつる光の反射がとてもキレイ。橋の先端に立つと、まるで宇宙にいるような今まで味わったことのないような浮遊感を感じさせられました。橋を渡り終えて初めて、「あれは使用済みのオイルだよ」という説明を係の方から受けて、「へー!!」と驚き感嘆でした。何を感じ取るかは個人の感受性に委ねられていながら、日常では決して味わえない異次元に迷い込んだかのような時空間に身を置くこの全ての体験こそが、その作品だったのです。この作品のインパクトは、一生私の心の中で生き続けています。
“こんなふうになりたい”と思えるお手本!
タカラヅカは、母の影響もあって10歳の頃からもう30年来のファンです。こんなにも魅了され続けるのは、そこには美しいものしか存在しないからだと思います。たとえば、男役と娘役がデュエットダンスをしているときの娘役が相手役にほほえみかける極上の笑顔を見ると、いつも心が洗われるような気持ちになります。タカラヅカでは悪役ですら美しいのですが、夢の美の世界に一時身を置くと現実を忘れ、まるでその世界を旅してきたかのようなエネルギーをもらうのです。
今週は「好きなもの」尽くしで、つい熱が入って長くなってしまいました。来週は、こんな私が「3回の転職を通じて、各々の場所で学ばせていただいたこと」を少しふりかえってみたいと思います。どうぞよろしくお願いします。