したたか者の流儀

2016年11月23日

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 明治末年には、株式市場も整備され日清、日露の戦争では株式市場で正式のバブルが発生しまた破裂している。1980年代のバブルもそうだが、多くの投資家を徐々に引きつけ最後は数人の弱気筋を勝利者として残りのすべてを奈落の底に突き落とすのがバブルと言うことになる。あたかもイーグルスの「ホテル・カリフォルニア」のようにチェック・インは簡単だが、無事チャック・アウトした人はいない。それがバブルだろう。

日清、日露戦争の上げ相場

 例外的に、こんな株価はおかしいといって、もっているものをすべて売って、さらに株券を借りてまで売りに回った人もいる。たとえば、日清、日露の上げ相場で、株を借りてまで売って売って、売ったのが野村證券の創業者の野村徳七だそうだ。持ってないものを売ることの恐怖は計り知れない。買ったものが下がればほっておけばいいが、借りたものは返さないといけない。それもいくらの値段になっても買い戻す義務がある。したがってこの場合損は無限大にも広がる。野村徳七も寝られない夜が続いたことであろう。最後には暴落が始まり事なきを得たので今の野村證券があるのだ。バブル相場で幸せになれる人は少ない。

 知る人は少なく日本には研究論文もあまりないが1982年に中近東の一大産油国のクウェートでバブルが起きてしまった。当時は正式の株式市場はなく、オイルショックで油価が高騰し過剰資金が国内に滞留したことで起きたあだ花であった。政府は当時オイルショックからいち早く抜け出した日本株に膨大な資金を投じたが、一般の国民が海外投資は出来るはずもなく、スーク(アラビアの市場)の“あおぞら株式市場”で投資を始めた。

 後にスーク・アルマナハ事件と呼ばれるが、最後にはアラビア半島の鉄道設立趣意書まで売買の対象になったそうだと古老に聞いたことがある。参加者全員が痛手を受けたとおもったが、すべてを売却後直ちにレーガノミックスが始まった米国に資金を移したクウェート人がいた。カイロのカレッジで学んだとのことで英語が達者、仙人のような人であった。億万長者となった。珈琲を飲んだが支払い直前のベストタイミングで「Thank you!」 といわれてしまった。富豪に珈琲代をおごらされた。以上極意はこんなものだ。

 武道の免許皆伝の極意の巻き物は開いていけない。こっそり開いた愚か者がいった「何にも書いていないではないか」

  
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