大国に翻弄され続けてきたバルト三国
パンフレットを開くと、ロシア軍とリトアニア軍の見分け方、ロシア製の装甲車、戦車、自動小銃、手榴弾、地雷などが写真付きで詳しく説明されている。避難方法や緊急事態下の規制だけでなく、化学兵器による健康被害を最小限に抑える緊急措置の記述もある。
家族を安全な場所に避難させたらフェイスブックやツイッターを通じてパルチザンを組織するよう呼びかけている。万策尽きてもロシア軍には協力せず、徹底的にサボタージュせよと指示している。
「リトアニアにはソ連支配に抵抗して10年間戦ったパルチザンの歴史がある。パルチザンが破壊されたあとはカトリック教会が抵抗運動を続けた」
こう語るのは、リトアニアがソ連から独立したあと、初代外相を務めたサウダルガス欧州議会議員だ。パンフレットは、地方の森を隠れ家にソ連軍に抗戦し「森の兄弟」と呼ばれたパルチザンの歴史を思い起こさせる。
ドイツとロシアに挟まれたバルト三国は歴史に翻弄され続けてきた。リトアニアは18世紀末ロシア領となったが、第一次世界大戦とロシア革命に乗じて、ドイツ占領下の1918年に独立を宣言した。しかし独ソ不可侵条約の秘密議定書により40年、再びソ連に併合され、この際、バルト三国の住民は大量にソ連のシベリアに強制移送されている。
90年、リトアニア最高会議は独立を宣言。91年、最高議会に向かうソ連軍の戦車の前に市民が立ちはだかり、ソ連はリトアニア独立を認めた。市民14人が犠牲になり、約1000人が負傷したこの事件をきっかけにソ連は崩壊する。バルト三国は常に歴史の発火点となってきた。
リトアニアのリンケビチュス外相は筆者にこう話す。
「ロシアとの間で緊張が高まっており、非常に悪いムードだ。しかし未来は決して与えられるものではない。欧州の未来は私たちの取り組みにかかっている。EUと人々の間に大きな溝ができ、政治指導者は信頼を失った。ポピュリズムが欧州全体を覆っている。後手に回ってはダメだ。先手を打って信頼回復に努めなければならない」