2024年12月23日(月)

WEDGE REPORT

2017年6月3日

当時の商社マンの住宅事情

 リーマンショック以降はかなり景気も下がったとはいえ、現在では日本の駐在員の多くは、独身者はマンハッタンのミッドタウンの高級コンド、家族持ちは近郊の高級住宅地に住んでいる。企業派遣の日本人駐在員のリビングスタンダードは、ニューヨークに来る海外滞在者の中でも、かなり高いほうだと思う。

 でも60年代の企業戦士には、そんな贅沢は許されなかったはずだ。

 1960年代と言えばドルショック前の、まだ1ドル360円だった時代。今のように日本企業が世界の経済界のエリートとして君臨する前のことだ。駐在員の多くは恐らく限られた軍資金で質素に暮らしながら、国と企業を背負って必死で任務をこなしていたのに違いない。

 60年代はニューヨークも不景気で、かなり治安も悪かったと聞く。日本の駐在員はおそらく治安がそこまで悪くなく、物価の安いラテンアメリカ系移民の多い区域を選んだのではないだろうか。そこで出会ったアルゼンチンのお菓子を、ニューヨーク産と思い込み、日本に持って帰る手ごろな手土産にしていたのではないだろうか。

 筆者がニューヨークに移住したのは1980年で、ラテンアメリカ系移民の多い地域はイーストハーレムとイーストビレッジだった。すでに安全とは言いがたく、とても日本の駐在員が住むような区域ではなくなっていた。ニューヨークの町並みの移り変わりは早いので、60年代に駐在員がどのあたりに住んでいたのか、わからない。

 1960年代当時のニューヨークの日本人駐在事情をご存知の方が読者の中にいらしたら、ご教示いただけたらありがたいと思う。

 ところで最後に、どうしても抵抗があるのは、この商品に限ったことではないが、やはりSandwichがSandに省略されていることである。海外に行った人なら経験があると思うのだが、英語圏の国でレストランに入って「サンド」と言っても、(日本人に慣れているハワイのようなところは別として)相手はサンドイッチのことだとはわからない。

 2020年東京五輪も控えて、今の日本は小学校から英語教育が施される国になった。

 「サンド」をはじめとする、海外では通じないカタカナ英語をそろそろ見直すときが来ていると思うのだけれど、いかがだろうか。

  
▲「WEDGE Infinity」の新着記事などをお届けしています。


新着記事

»もっと見る