バラナシで下痢に罹る
3月8日の夜から3月12日まで酷い下痢に悩まされた。バラナシは喧騒と混沌の街である。バラナシでのガンジス河沐浴はインド人には聖なる巡礼行事であるが、日本国外務省は邦人旅行者に対する危険情報として『バラナシでのガンジス河での沐浴は外傷がないことを条件に足首までにとどめること』を強く推奨していた。全身行水するとか眼を開けて泳ぐとかについては危険行為であると警告していた。それほどバラナシ周辺のガンジス河の衛生状態は科学的には危ない状態ということである。
日露戦争以来の日本人の国民的下痢止め薬である○○丸が効かないのである。「その土地の病はその土地の薬でないと効かない」と有名な旅のエッセイで読んだことがあるが、果たしてそうなのか。とにかく多少症状が改善したかと思うと夜中にゴロゴロとお腹が鳴りだす始末。
3月8日と9日の両日は仕方ないので終日ベッドでゴロゴロしながら退屈しのぎに、NHKラジオ『ハングル講座』のテキストをひたすら丸暗記して過ごした。ちなみに私は海外放浪する時に必ず語学のテキストを一冊持参する。これは列車やバス等の時間待ちなどで退屈した時の暇潰しに絶好の読み物である。普段の生活では単語や文法を暗記するなんてバカバカしくなり長続きしないし、日常生活においてはどうしても単純な暗記作業は優先順位が低くなってしまう。
聖地ブッダガヤを目指して
3月10日。翌日のブッダガヤ行きの列車を予約しに旅行代理店に出かけた。バラナシ~ブッダガヤのスリーパー(座席指定の寝台車)は165ルピー(≒300円)であるが事前予約手数料(代理店の手数料)が別途200ルピー(≒360円)という。下痢で体力がないのでバラナシ駅までリキショーで30分をかけて直接切符を買う気力がなく手数料込みの365ルピーで購入。往復のリキショーをどんなに値切っても100ルピー以上なので200ルピーの手数料は許容できる水準か。
3月11日。安宿の最上階からバッグパックを担いで降りて。さらに曲がりくねった路地を30分ほど歩いてメインストリートに出た。国鉄バラナシ駅までリキショーに乗るしか移動手段がない。群がってきた座席付き三輪自転車の車夫数人と100ルピーから交渉開始して最後に残った貧相な車夫と50ルピーで妥結。痩せた車夫が必死に自転車を漕いでいるが交通渋滞もあり中々進まない。やっとバラナシ駅まで1キロくらいの地点まで来たら車夫は自転車を降りて路傍の壁の陰に駆け込んでしゃがみこんだ。彼も下痢のようである。
やっとのことで駅に到着して100ルピー札を出すと釣り銭がないと嘘を言ってそのまま帰ろうとする。釣銭が無いなら代金は払わないと脅すと渋々10ルピー札を差し出した。さらに脅すと20ルピー札を出してくる。何度か押し問答してやっと総額50ルピーの釣銭を確保した。まさにインド的根競べの世界である。
巡礼列車は満員御礼
定刻1時間前にプラットフォームに到着したがどうも遅延しているらしい。定刻1時間遅れで列車は到着。切符を見ながら列車番号を確認して、対面4人掛けの指定席に向かうと4人掛けのシートに7~8人のインド人が座席一杯に座っている。
インドでは指定席が占拠されているのはごく普通である。Generalという日本でいうところの安価な自由席切符は無制限に販売される。それで通常自由席の列車は乗車率数百パーセントとなっている。網棚にも無数の人間が寝ている状態。それゆえGeneralの乗客が空いている指定席になだれ込むのである。彼らを追い出して座席に座ると、恐る恐る数人のGeneralの青年が小生のシートの端っこにちょこんと腰掛けた。彼らは多少でも隙間があればヤドカリするのである。