2024年12月23日(月)

古希バックパッカー海外放浪記

2018年6月10日

(2017.2.25~4.26 61日間 総費用13万2000円〈航空券含む〉)

映像アーティストのラテン女子の羨望のライフスタイル

 3月28日。ポカラの食堂でアルゼンチンのフリー映像アーティスト26歳とテーブルが一緒になった。カタリーナはフリーランスなので、一仕事終わると自由に東南アジア、インド、欧州などを旅行しているという。

 今回はインド・ネパールを3カ月周る計画。カタリーナは元来カトリック教徒であるが、旅行を通じてチベット仏教に惹かれた。現在では、カトリック教徒であると同時に仏教徒でもあると説明。キリストの復活はチベット仏教の輪廻転生思想の観点から説明できるという。そもそもキリスト教徒の信じる神は仏教徒の信じる仏陀と同じ存在であるという。従ってキリスト教と仏教を同時に信仰することは論理矛盾しないとのこと。

 人知を超えた絶対的存在は一つであり、キリスト教徒と仏教徒は別の角度から一つの絶対的存在を見ているだけという。こうした解釈は一神教を信じているユダヤ教徒やキリスト教徒からしばしば耳にすることがある。

蒸気機関車が牽引しているダージリン・トイ・トレイン
トイ・トレインの車内はインド人観光客で一杯

 長期旅行者にはカタリーナのようなアート系の仕事をしている人間が多い。インドのゴラクプールからネパールのスナウリまでの列車とバスで一緒になったロシア人カップルも男子はグラフィックデザイナー、女子はコピーライターもであった。彼らもカタリーナと同じライフスタイルであった。旅先で得たインスピレーションを溜めて作品に反映して、時間があれば旅先で作品を仕上げてエージェントに送ったりしていた。

 1年に夏冬に1週間程度の休暇取得がやっとの日本の普通の被雇用者にとっては羨望のライフスタイルである。

社会にコミットしない自由人的人生は虚無なのか

ダージリンの街から望むヒマラヤの朝焼け

 3月29日。夕食後ゲストハウスの部屋でネパールのラジオを聞きながら、ネパール国産ジンに市場で買ってきたライムを絞ったジンライムを飲んでいた。最初ラジオで中国語会話放送が流れたので驚いた。おそらく中国政府の肝いりであろう。そのあとはネパールの民謡番組であった。

 昼間ポカラの食堂でお茶を飲んでいた時に声を掛けてきた70歳の英国爺さんのことが妙に心に残っていた。彼は自称ミュージシャンで若いころから現在に至るまで世界中を放浪している。一度結婚したが離婚して係累はない。

 路上でギター片手に歌って投げ銭をもらって旅費を稼ぐ。時には路上で手製のアクセサリーを売る。いよいよ旅費が不足すれば短期間のアルバイトで稼ぐ。私が日本人と分かると日本は素晴らしいと絶賛。京都の路上で当時外人の路上アーティストが珍しかったらしく望外の収入を得たという。

 同氏の話は延々と続くがほとんど耳に入らなかった。というのは各国での思い出話を語っているのであるが興味がわかないのである。彼のような海外放浪人生を歩んできた人間の話は大同小異で面白みがないことに気づいた。

 若いころから老境に至るまで海外放浪人生を送ってきたという中高年欧米人は多い。ビエンチャンの安宿街で沈没していた米国人。クアラルンプールの安宿で隣にいたベルギー人。アテネのホステルで同室になった英国とドイツの老人。記憶を辿ると、かすかに彼らとの遭遇を思い出せるが、彼らが何を話していたか思い出せない。

 彼らの話題がつまらないのは知的好奇心を満足させるような新鮮な驚きや考えさせる内容がないからではないか。家族を養うという責任を負わず、仕事を通じて社会人としての義務を果たすこともなく、単に自由で楽な生活を求めてきた人生は“振り返れば虚しい日々”ではないか。


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