現場に入ってまず思ったこと
Q いま一瞬目を閉じていただいて、救援対象地域に入ったとき最初に浮かんだ言葉を思い出してみてください。
A 津波が引き起こした完全な破壊、そういうものを可能にしてしまう津波の力、これに対して信じられないという思いでした。
Q 最初の捜索、救助活動をしたのは陸前戸倉だったのですね。そこに入った時間をもう一度正確に。
A まず情報収集部隊が15日火曜日の午後に入りました。それを受けて、陸前戸倉で捜索活動を始めたのは16日の水曜日です。
Q がれきの山、破壊の程度を見て、何を思いましたか。
A 生存者がいる可能性は、ほとんどないだろう、と。
Q 何か、聖書の話に出てくる景色みたいだ、などとは思いませんでしたか。
A ..................
消防士とは世界中全員一家、悲しみも一緒
Q 京都と栃木からきていた消防当局と協働作業をしたそうですね。実際の協力はどんなふうでしたか。
A とてもよかったです。ここをやってくれと、われわれに場所を指定してくれました。
消防士というのは、世界中全員一家みたいなものです。ちかくで彼らが取り組んでいることを見れば、それが他人の仕事とは思えない。自分の任務であるとも感じるわけです。ですからお互い、助け合えることはみな助け合いましたし、日本人の消防士たちが悲しんでいるときは、その悲しみを共有できたと思います。
Q 自衛隊との協力、となりますと?
A 自衛隊も含めて、捜索現場ではひとつのチームのようでした。お互いに助け合って。
言葉は向こうもこちらもしゃべれないわけですけれど、喪失感というものを共有していました。あれはまったく、不思議な感覚だった。
Q その間、言葉の壁は問題にはならなかったのですか。
A 最初から通訳がいてくれたわけですから。一度も問題にはなりませんでした。
Q もう一度、実際に手がけられたことは?
A 4キロ四方ほど、がれきの積み重なったところを捜索しました。場所は、南三陸の志津川と陸前戸倉です。建物は30棟くらい探しました。
Q 日本人と一緒にしたことの中で、最も強い印象に残ったのはなんでしたか。
A 志津川で、京都の消防隊員たちと犠牲者を弔う儀式をやりました。みんなで1分間の黙祷を捧げました。そのことですね。
Q ガソリン調達に苦労しませんでしたか。
A 大使館のスタッフと、われわれの中から出した何人かが地元の人から調達してきました。
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