被災者の我慢強さについて
Q 被災者たちは忍従していたとよく言います。我慢強さをみなさんも感じましたか。
A もちろんです。非常にストイックでした。きわめて規律正しく、抑制的に自身を律していました。しっかりやっていこうと決意を固めているふうに見えました。
Q どうして日本人はそうなんでしょう。
A わたしの感じですが、規律正しく、そして誇り高く、そのうえに我慢強いのだと思います。何世紀にもわたって、たくさんの危機に直面してきたんでしょう。そういう歴史のなかで、強く、逞しくあることが求められ、性格を形作ったんだと思います。
Q ところで、みなさんにとっても条件は厳しいものでしたか。1日の活動が終わったときの疲労感はどうでしたか。
A 1日の活動時間は非常に長かったです。気温がとても低かった。余震にいつも警戒していなくてはならず、放射能のことも気にかけなくてはなりませんでした。ですからシドニーに帰ったときには、くたくたになっていました。ただわたしの場合、疲れがどっときたのは自宅に戻って任務から解放されたときでしたが。
とても寒くて夜は眠れなかった
Q 任務遂行中、キャンプではよく休めなかったのでしょうか。
A あまり。寒さがとても厳しかったのと、わたしの場合アタマが冴えすぎてしまって。
Q キャンプでの食事は?
A 携行食です。
Q そんななか、隊員同士の会話というのはどんなものなのでしょう。誰かの噂話をしたり、奥さんのこと、家族の話題を話したりするのですか?
A 作戦遂行のことでアタマがいっぱいでした。いろいろとリスクもあったわけですし、そういうことも考えないといけません。津波、余震、放射能、天候といろいろ。ひとつ間違えると、隊員の士気を損ねることになるものばかりです。つまりそうしたことがいつも念頭にありました。
Q マクニールさん自身のことをお尋ねしますが、捜索救助のミッションはどのくらい手がけたことがありましたか。その中で、日本の作戦は、どう位置付けられますか。
A 山火事ですとか毒性物質の漏出事件、それにふつうの火事と救難活動を数えたら、それこそ数えきれないくらいです。でも、地震・津波の被害に対し海外で活動する任務に従事したことはそれまでありませんでした。わたしにとって、今回が初めてです。
Q メディアのことをお尋ねします。みなさんが南三陸の現場へ行ったとき、報道機関はもう来ていましたか。
A 映像を取るチームは、オーストラリアと日本のクルーがそれぞれ1つずついました。両方ともわれわれの活動を録画していました。
Q 最後の日のことです。その日の出来事を、振り返っていただけますか。
A ベースキャンプを敷いたBOOの撤収ですね。一帯をきれいにして、ゴミを片付け、そのあと佐沼病院へ行って医療キットを寄贈しました。それから、持参した人数分の寝袋(76)、70個のテント、大型テントを4つ、携行食の余った分とまだたくさん残っていた飲料水も寄贈してきました。
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