2024年12月23日(月)

Wedge REPORT

2019年8月23日

メダリストとの出会いで芽生えたパラリンピアンへの夢

10秒台を目指し、一歩一歩考えながら走りを積む

 佐藤選手は当時、まだ走る喜びだけで、競技者としてパラリンピックを目指すことまでは考えていなかった。北京パラリンピック(2008年)の走り幅跳びで銀メダルを獲得した片大腿義足の山本篤選手との出会いが転機だった。

 「高2の時です。山本さんと一緒に練習をすることで刺激を受け、障がい者の大会にも出るようになり、パラリンピックを意識するようになっていました。それまで100メートルを16秒台もかかっていましたが、“パラに行こう”と決意するや、走るのが『嬉しい』から『楽しい』と思うようになりました。リハビリした分、練習した分、いい方向に変わっていくのが目に見えてわかり、走ることの励みとなり、パラリンピックへのモチベーションに繋がっていったからです」

 高3の時、卒業後の進路について悩んだ。義足を作る仕事に就くことも選択肢の中にあったが、好きな陸上で関わっているパラリンピアンと同じステージに立ちたいとの思いが強くなっていた。レベルが高く、競技環境にも優れる中京大学への進学を決めた。在学中にロンドンパラリンピック(2012年)への出場(400mリレー)を果し、続くリオパラリンピック(2016年)では100mの自己ベスト11秒77(当時の日本・アジア記録)で駆け抜け、リレーで銅メダルに輝いた。

 「ロンドンでは出ることだけで満足。リオは一緒にやってきた4人の仲間とメダルを獲れて嬉しかったけど、個人の100mはまだまだで悔いだけが残りました。東京でメダルとなると、10秒台を出さなければ難しい。僕のカテゴリーT64(片側に下腿義足を装着するクラス)の世界記録は10秒61ですから。

 今、走っていて凄く楽しいです。昔はただガムシャラに走るだけで、今は陸上選手の走りになり、一歩一歩考えながら走っているんです。それに義足もテクノロジーで、まわりは陸上関係者だけだったのが、コーチの他にも僕が速く走ることに適した義足を設計成型するエンジニアやその素材となるメーカー、それに応援してくれる所属会社と、チームとして一つの目標に向っています。東京に向けた素晴らしいアプローチができると思います」

  
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