“民主政治の素人”では決してない
ミャンマーが経済発展を重視し、安定した民主的な政権に向かって、しっかりと歩み始めたということは明白である。しかも、ミャンマーは決して“民主政治の素人”ではない。今回の変化は、ある日突然起こったものではない。長い歴史の流れの中で起こった必然の変化であり、私は、“本物”だと思っている。
1948年の独立以来、ミャンマーでは国軍が常に重要な役割を担ってきたが、62年まではシビリアンの政治家が政治を担う立派な民主政治の国だった。それが立ちいかなくなり、軍のリーダーであるネ・ウィンが登場し、長期軍事政権となってしまった。その政権も、ついに経済政策の失敗や腐敗、執政能力の低下等により、88年に崩壊する。
90年、国軍は全く準備不足のまま、選挙による局面打開を試みた。ミャンマーの独立から62年まで続いた「民主政治」に戻そうとしたのだ。だが軍のつくった政党は大敗し、NLDが勝利した。国軍は、選挙結果を無視し、軍事政権に回帰した。国名もビルマからミャンマーに変えた。
以来、国軍は「いずれ民主的に選ばれた政府に政権移譲する」としてきたが、保守派も納得する妙案がないまま、西側の制裁はだんだん強化されていった。ミャンマーは再び出口のない袋小路に入ってしまった。
ミャンマーは活路を求め97年、ASEANに加盟した。だが、ASEANの評判低下を嫌った加盟国は、ミャンマーに民主化を要求し、03年、ミャンマーは「民主化ロードマップ」を発表し、今日まで、その通りに進んでいる。その延長線上に、昨年来の大きな変化がある。
保守的なタン・シュエの影響もあり、同じ軍人だから、現政権の改革への動きも短命で終わるという見方もある。だが、タン・シュエの下でナンバー3の陸軍大将をつとめたシュエ・マン下院議長も、「タン・シュエはもはや政治には関与していない」と語っている。
テイン・セインやシュエ・マンはタン・シュエより2世代も若い。新しい指導者たちには、ミャンマーの閉塞状況を打破したい、いまがその好機だ、という強いコンセンサスがある。スー・チーとの和解を進めているのも彼らだ。タン・シュエに拘束されていた改革派のキン・ニュン元首相(陸軍大将)が釈放されたのも良いニュースだ。
一連の民主化のプロセスにスー・チー率いるNLDは参加しなかったが、今年4月1日の補欠選挙にスー・チー以下、NLDのメンバーも出馬する。そこからの政治展開が、ミャンマーの将来にとり極めて重要な意味を持つことになる。国軍の関与なしに政権運営をおこなうことは不可能だが、スー・チーの存在が、ミャンマーをさらなる民主化に向かわせる重要な原動力でもある。両者が、ミャンマー国民の幸せという大局に立って、建設的な協力関係を築くことを切望してやまない。
欧米に先行し日緬関係を強化せよ
日緬関係は今後、戦略的に重要になることは間違ない。中国への対抗心から、そう言うのではない。ASEAN10カ国が団結し、安定を保ち、継続的に発展することは、日本だけではなく、中国を含む、この地域のすべての国の利益となるからである。
日緬の歴史的つながりは深い。それはスー・チーの父であり、ミャンマーの独立を勝ち取ったアウン・サン率いるビルマ国軍の基礎造りに協力し、独立後も88年まで、最大の援助国として支援してきたからだ。