2024年12月14日(土)

Wedge REPORT

2012年3月30日

 41年、アウン・サンは、イギリスからの独立を追い求め、日本軍にたどり着く。日本軍は、英米の蒋介石軍への支援に手を焼いていた。「援蒋ルート」はミャンマーを通っており、それを阻止するために日本軍はミャンマーの独立派獲得に積極的に動いた。そして、日本軍によって訓練されたアウン・サン以下、「30人の志士」が、ミャンマーを独立に導くのである。もちろん日本のミャンマー侵攻は、イギリスを追い出したものの、ミャンマーに独立を与えるものではなく、少なからぬ痛みを与えるものではあった。

 それでも、「30人の志士」の物語は、今でもヤンゴンの国軍博物館の大きな部屋に、日本との友好の物語として展示してある。またインパール作戦と呼ばれる、インドの英軍を叩く無謀な作戦により倒れ傷ついた多くの日本兵に、ミャンマーの民衆は温かい手を差し伸べてくれた。生き残った日本兵は、帰国後も、この恩を忘れることはなかった。自分たちが世話になった村を訪れ、井戸を掘り、学校を建てて協力した。この感謝の気持ちに基づく支援は、今もご家族の方々により続けられている。

 戦後、ミャンマーに対する賠償から始まった日本の経済協力は、現地の人々に今でも強い印象を残している。日本のさまざまな分野の専門家が、ミャンマーが自立できるように手を取って教えてくれたというのだ。

アジア・太平洋戦略としてのミャンマー

 私がミャンマーにいたとき、エジプトなど被援助国の大使たちから、「被援助国に何の政治的条件もつけずに行う日本の経済援助こそ、真の援助であり、心から日本に感謝している。日本を尊敬している」との言葉をよく聞いた。また、ミャンマー政府の技術責任者からは「日本の援助は単に橋を架けるだけでなく補修の技術まで教えてくれたが、中国はそこまでしてくれない」との声もあった。裏を返せばそれは、現在の中国の援助に対する批判でもある。

 また、90年以来、ミャンマーに対する経済援助を制限する中で、日本は国連児童基金(UNICEF)を通じ、ミャンマーの子供たちへの予防接種を続けている。母親たちは、これが日本の援助であることを知っている。ミャンマーにある国連機関の日本人女性職員が、地方に行って「国連の職員だ」というと会場から拍手が起こり、「私は日本人です」というと、もっと大きな拍手が沸き起こるという。

 一方、ミャンマーは、これまで何度も日本に期待をして裏切られてきた。ミャンマーが困ったとき、日本はいつも助けてくれていたのに、西側諸国の制裁が強化されるたびに日本の支援が細っていったからである。

 だが、ミャンマーはいま、日本が戻ってくることを心から待ち望んでいる。ほとんどゼロから新たな国づくりを始めなければならないミャンマーにとって、日本ほど頼りになる国はない。日本の高い技術と律義さはよく知られている。日本企業の評価も高く、環境と国民生活を大事にする企業倫理は、ミャンマーの心ある人たちも知っている。日本政府と企業が協力をして、鉄道等のインフラ整備やヤンゴンの都市整備に対する協力を開始する時期が来た。日本企業も現地の優良なパートナーを見つけて早く地歩を築いてほしい。

 ミャンマーは欧米からは遠い。西側の外交は、どうしても人権や民主という価値観外交が表に出る。だが、日本には地政学的な考慮も必要だ。ミャンマーが有力国として成長することは、この地域の平和と繁栄を確保する日本のアジア・太平洋戦略につながることにもなる。ミャンマー問題を日本のASEAN外交の中にしっかりと位置づけ、ミャンマーの自立を助けることがASEANの強化につながることを明確に意識して、官民さまざまな分野で、欧米に先行する気概でミャンマーと付き合っていくべきである。

 ミャンマーの日本に対する期待も永遠のものではない。ミャンマーの “本物”の変化が到来したこの機会をしっかりとつかみ、今度こそ日本の戦略的利益に合致した外交を積極的に推進したいものである。それが“親日国”ミャンマーに応える道でもあるのだ。

◆WEDGE2012年3月号より


 




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