2024年12月23日(月)

world rice

2013年5月16日

 日本の農業、特にコメつくりは国際競争力のない弱い部分であり、保護しないとつぶれる仕事である―。私は「何となく感じられている国民の合意」に対して、強い疑問を持つと同時に、試してみることもしないで「弱い」と断定することへの反発心を以前から持っていました。

 「日本のコメつくりに競争力がないのは、経営者の資質や責任ではなく、環境(コメ政策)によって起きた問題である」。1973年、カリフォルニア州(以下加州)で1年間コメつくりの実習を経験した結果、そう解釈するのが正しいと思い至りました。

 52年、福島県郡山市のコメ農家に長男として生まれ、周囲の期待通り「農業後継者」となりました。21歳のとき、国際農友会(現在の国際農業者交流協会)の海外派遣事業で加州に行かせてもらいました。

 3000ヘクタールのコメ農場では、大型ブルドーザーで田んぼを耕し、飛行機で種を播く。大規模なコメ生産農場でも、飛行機での作業は専門業者に委託し、収穫も大型収穫機を持っている専門の請負業者に作業を委託します。自作農として全ての機械を所有し、自ら作業を行う日本のコメつくりとは異なり、機械を所有する場合と作業を委託に出した場合の経済性の比較から判断し、コメつくりをしています。作業効率の向上が生産コストを下げていました。

 しかし、帰国すると加州のコメや世界のコメは、「直接的に日本のコメつくりには影響はない」と、何の根拠もなく勝手に思い込んでいました。

 ところが、大きな衝撃を受ける出来事がありました。88年、USA Rice Millers’ Association(全米精米業者協会)が米国政府に対し、日本のコメ市場開放を求めて提訴しました。いつか否応なしに世界のコメと競争しなければならない予感を、充分に与えてくれました。

 加州での経験を通じて、日本のコメの問題は生産コストの差にあることが分かりました。ただし、土地の集約には時間がかかり、しかも私のいた地域には、基盤整備の済んだ水田(経営として成り立つ)が近隣に少ないなど、大規模化の実現は困難であるとの結論になりました。


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