2024年12月23日(月)

教養としての中東情勢

2024年12月10日

他国に依存した末路

 政権崩壊の直接の要因は3つある。第1に、イランが見限ったことだ。イランの最優先の戦略はイランから、イラク、シリア、レバノンという地中海までの「シーア派ベルト」を死守することだ。

 だからイランは経済的な苦境の中、アサド政権を支え、膨大な武器を与えた。反体制派と激戦を展開したのはイランが育てたレバノンのシーア派組織ヒズボラの戦闘員だった。

 だが、ヒズボラはガザ戦争のあおりを食って、イスラエル軍の猛爆撃で指導者も殺害された。シリアに戦闘員を出せる余裕はなかった。

 イランは土壇場でアラグチ外相らがダマスカス入りし、対応を重ねた。イラクにシリアへ支援部隊を出すよう要請したが、拒否された。アサド政権を見捨てざるを得なかった。

 第2に、ロシアもウクライナ戦争に手一杯でシリアにまでは手が回らなかった。すでにシリア派遣部隊をウクライナ戦の前線に配置換えするなどしており、反体制派に対する形だけの空爆を行ったにすぎなかった。ここに至っては、ロシアの関心は地中海沿岸に保有する海軍基地をいかに維持するかだろう。

 第3に、イランのアラグチ外相が不満を述べたように「シリア軍のあまりの無能さ」だ。戦闘を他人任せにしてきたツケが一気に回ってきた。反体制派がシリア最大の商業都市アレッポやハマを制圧すると、シリア軍兵士は軍服を脱ぎ捨て、われ先に逃亡した。戦いを他国任せにした末路だった。

 アサド一族はじめ、一族に群がって旨い汁を吸った特権階級や、反体制派を拷問して数千人を殺害したとされる治安機関の工作員らはレバノン国境などから必死でシリア脱出を図っているとされる。特に特権階級はスイスなどの海外銀行に多額の不正蓄財をしており、流出した資金の返還が今後焦点になる。

反体制派の「正体」

 アサド政権を崩壊させた反体制派とはどんな人たちなのか。主導したのは「シリア解放機構」(HTS)という組織だ。

 同組織は国際テロ組織「アルカイダ」が前身で、国連や米国からテロ組織指定を受ける過激派だ。指導者のジャウラニはイラクのアルカイダに加わり、その後シリアで「ヌスラ戦線」を創設。2016年にアルカイダと分かれ、穏健派に変身したという。米国は穏健化を懐疑的にみている。約3万人の戦闘員がいる。


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