サー・トム・ストッパード
イギリスを代表する劇作家の一人、サー・トム・ストッパードが11月29日、英南西部ドーセットの自宅で亡くなった。88歳だった。映画「恋におちたシェイクスピア」で、米アカデミー賞やゴールデングローブ賞などの脚本賞を共同受賞したストッパード氏は、「家族に囲まれて安らかに亡くなった」と、代理人事務所が発表した。
イギリスのチャールズ国王とカミラ王妃は、「私たちの最も偉大な作家の一人」の死を「深く悲しんでいる」とコメント。「彼は大切な友人で、自分の天才をさりげなくまとっている人でした。自分のペンであらゆる題材を扱うことができたし、実際にそうしました。自分自身の過去をもとに、観客に挑み、揺さぶり、感動させていました」としのんだ。
ストッパード氏は、イギリスの劇作家の中でも特に聡明で巧みな一人だった。その文章は機知に富み、遊び心にあふれていた。真剣に思索し、哲学的に、あるいは政治的に議論することを楽しんだ。
演劇界で活躍しただけでなく、米ハリウッドでは他人の映画脚本を磨き上げる「スクリプト・ドクター」として引く手あまただった。1998年の「恋におちたシェイクスピア」では、マーク・ノーマン氏と共にアカデミー賞脚本賞を受賞した。
作家としてストッパード氏は、人を楽しませるエンターテイナーとしての資質と、複雑さを喜ぶ知識人としての資質を融合させることに成功した。
戯曲「アルカディア」、「ジャンパーズ」、そして出世作の「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」は時折、感情の深みが足りない、展開が遅すぎて中身に欠ける、などと批判されることもあった。
しかし後期の作品は、たとえ批評家には好まれなくても、人間への深い共感を表現していた。
劇作家としての特徴は、もしかすると本人の経歴を反映していたのかもしれない。ストッパード氏は片や中央ヨーロッパ的な知識人としての側面と、片やイギリスのパブリックスクール出身で、自分を笑うことを知っている、クリケット好きのイギリス人という側面を併せ持っていた。
ストッパード氏は1937年7月3日、当時のチェコスロヴァキアでトマシュ・ストラウスレルとして生まれた。ユダヤ人の父オイゲン・ストラウスレルは医師だった。ナチス・ドイツによる占領の危機が迫るなか、両親はまだ赤ん坊だったストッパード氏とその兄ペトル(後にピーター)を連れて、シンガポールへ移住した。
その後、日本軍がシンガポールに侵攻すると、幼い兄弟は母マルタと共に脱出したが、シンガポールに残った父は死亡した。ストッパード氏は長いこと、父は日本軍の収容所で死亡したと話していたが、後に、シンガポールを脱出しようと乗った船が爆撃されて亡くなったことが分かったと明らかにしていた。
母と兄弟の3人はシンガポールを脱出後、まずはオーストラリア、続いてインドへ移った。母はインドでイギリス人のケネス・ストッパード少佐と出会い、結婚し、1946年に息子たちを連れてイギリスへ移住した。
「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」
ストッパード氏はジャーナリストになり、最初は英南西部ブリストルの地元紙ウェスタン・デイリー・プレスで働いた。最初の戯曲「水上の散歩」(後に「自由人登場」に改題)が1963年に英民放ITVで放送されたのが転機となった。
しかし、ストッパード氏を一躍有名にしたのは、戯曲「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」だった。1966年にエディンバラ・フェスティバルで初演され、翌年には当時、ロンドンのオールド・ヴィック劇場を拠点にしていたナショナル・シアター・カンパニーが再演した。これは、シェイクスピア作「ハムレット」に少しだけ登場する2人の脇役ローゼンクランツとギルデンスターンを主役にした作品で、2人にとっては訳のわからない出来事が身の回りで次々と進行する中、2人が混乱して翻弄(ほんろう)されていくという物語だ。
これが傑作だった。「ゴドーを待ちながら」などで知られる劇作家サミュエル・ベケットの作品のようでありながら、飛び交うジョークははるかに面白かった。
この成功に続いてストッパード氏は、観客が予想もしない知的な発想や奇妙な組み合わせを軸にした、極めて演劇的な作品を次々と発表した。
「ジャンパーズ」では、学問としての哲学と、体操を題材にした。「トラヴェスティーズ」は第1次世界大戦中のスイス・チューリッヒを舞台に、レーニン、ジェイムズ・ジョイス、ダダイストのトリスタン・ツァラ、そしてオスカー・ワイルド作「真面目が肝心」を題材にした。ワイルドの明るいながらもとげとげしく、意識的なまでに巧緻(こうち)を極めた作風に、ストッパード作品は比較されることがある。
ストッパード氏はその後も、きわめて知的で巧みな作品を次々と発表した。「ハップグッド」ではスパイ活動と量子物理学を題材にした。「アルカディア」では、数学、熱力学、文学、造園をテーマにした。
ストッパード氏は、自分がすでに考えている内容を探検するだけでなく、自分は本当は何を考えているのかを発見するために戯曲を書くのだと話していた。
愛と不実
ストッパード氏は、ラジオ作品も手掛けた。「If You're Glad I'll Be Frank(うれしいなら正直に言う)」では、時報を読み上げる時計を生身の女性に見立てた。「時計が3回鳴ると……」と果てしなく繰り返す単調な反復と、その女性の内心の独白がまったく別物だという対比を描いた。
「Albert's Bridge(アルバートの橋)」は橋を塗装する男性を主人公に、哲学と数学を絡めた作品だった。
キャリアを積むにつれて、ストッパード氏の作品はよりシリアスで政治的になり、そして人間への共感を表す内容になった。
著名司会者ジョーン・ベイクウェル氏による2002年のインタビューでは、「戯曲を書く場合、ただ単に機知に富んだアイデアの応酬にわくわくするより、もっと生身の体温を感じる内容にした方がうまくいくと、徐々に学んでいった」のだと話していた。
「登場人物の人間性があるからこそ、演劇は偉大な芸術になり得る」
「夜も昼も」はジャーナリズムとその目的が題材だった。「リアル・シング」は愛と不倫をテーマにし、フェリシティ・ケンドル氏が主演した。当時、医師でテレビ司会者のミリアム・ストッパード氏と再婚していたストッパード氏は、ケンドル氏と交際するために離婚した。
「良い子はみんなご褒美がもらえる」では、俳優たちと一緒に交響楽団が舞台に上がった。ソ連で精神病院に収容された反体制派の悲惨な状況を描いた痛烈な風刺劇で、「私には症状などない。私には、意見がある」と患者が言うと、医師は「あなたの意見が症状だ。反体制というのがあなたの病気だ」と答える。こうした逆説の掘り下げが、ストッパード作品の真骨頂だった。
「コースト・オブ・ユートピア」は、19世紀ロシアの自由主義思想家アレクサンドル・ヘルツェンを題材にした3部作の大作だった。ロンドンのナショナル・シアターでの反応は冷ややかだったが、米ニューヨークでは大成功を収めた。
「ロックンロール」では、チェコスロヴァキアの共産主義体制による抑圧を描いた。
脚本家として
実に博学だというのが、ストッパード作品の特徴だった。
ベイクウェル氏のインタビューでストッパード氏は、「私はいつも、たくさんのことを知りたいと思っていた。ただ、特に深く知りたいというわけではなかった」と語っている。
「私は事実が好きだ。知識が好きだ。幅広いことに興味を持っているのが好きだ。こういう人を表す言葉はいくつかあるが、ディレッタント(好事家)と呼べるかもしれないし、ポリマス(博識な人)とも言えるかもしれない」
「そもそも戯曲を書くには、何か小さい分野に本当にものすごく興味をもった時にバシッと決まる何か、注入されるような何か、あふれ出てくる何かが必要だ。それは科学的だったり、哲学的や歴史的なことだったりするかもしれないが、とにかく何かについて本当に自発的に、抑えがたいほど夢中になることが必要で、いざそうなれば何もかもが芝居になる」
ストッパード氏は、映像作品の脚本家としても成功した。戯曲のいくつかはもともとテレビ用に書かれたもので、チェコの反体制運動「憲章77」との縁をもとにした「プロフェッショナル・ファール」もそのひとつだった。
英作家ジェローム・K・ジェロームの小説「ボートの三人男」をテレビ用に脚色したほか、テリー・ギリアム監督のディストピア映画「未来世紀ブラジル」を共同執筆した。
大ヒット映画「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」では、クレジットのないまま多くの台詞を提供した。ほかにも、ジョン・ル・カレ、トルストイ、ロバート・ハリスといった数々の作家の小説を、映画脚本にした。
そして1998年には、「恋におちたシェイクスピア」で米アカデミー賞の脚本賞を共同受賞した。
1997年にナイト爵位に叙されて「サー・トム」となり、2000年にメリット勲章を授与された。
2014年には、3度目の結婚をした。相手は、ビール醸造などさまざまな事業を展開するギネス一族の一人で、テレビプロデューサーのサブリナ・ギネス氏。
2020年に発表した新作「レオポルトシュタット」は、自伝的な要素を含むもので、20世紀初頭のウィーンの、ユダヤ人居住区を舞台にした。後に新作戯曲としてイギリス演劇界のオリヴィエ賞を受賞したほか、ブロードウェイの作品に与えられるトニー賞を4部門で得た。
年を重ねても、書くと言う作業は決して楽にならなかったと、ストッパード氏は話していた。
「毎回毎回、水浸しになりやすいこのボートに乗るたび、前回の芝居をいったいどうやってものにしたのか、思い出そうとする。実にばかげた作業だ。でも絶対に思い出せないんだ」
「自分が『ロックンロール』にどう取り組んだのか、もう思い出せない。思い出せるら、またやるのに。でも何も手がかりがないので、自分はただなんとなく新聞を読んで、いろいろな人とおしゃべりをして、その辺をうろうろして、ああどうしようと心配してから寝るだけだ」
(英語記事 Sir Tom Stoppard, playwright famed for his wit and depth, dies at 88 / Sir Tom Stoppard: Witty and playful writer who took ideas seriously)
