筆者は、防衛官僚として13年間防衛省で勤務し、今年の4月に退職した。この連載では、安全保障に関する基本的な知識や考え方(フレームワーク)をお伝えするとともに、実際の日本政府の政策を取り上げてその背景や含意について解説している。
前回は、「平和教育」について取り上げた。その中で筆者は学習指導要領について「勢力均衡や抑止力といったリアリズムに基づく視点が軽視されているようにも見える」と評した。また、頻発する国際紛争を前にして、現下の国際情勢を「力の時代」と評するものも目にするようになった。そこで、本講では「リアリズム」とは一体何なのか、その基本的な考え方について解説した。
【第4講のテーマ】
力による平和とは何か。リアリズムとは何か。
今年に入って米国はベネズエラやイランを攻撃し、トランプ大統領は「力による平和」の成果だと主張している。一方で、これらの攻撃は国際法上違法である疑いが強く、批判の声も多い。それを受けてか「力による平和」とは、「強大な軍事力を持つ国が、他国を攻撃することで自国の安全を確保すること」のように思われている方もいるかもしれない。
だが、「力による平和」(peace through strength)という考え方は、トランプ大統領が考案した考えではなく古くから学問的な研究蓄積がある言葉であって、必ずしも軍事力を〝実際に行使して〟自国の利益を図ることを意味しない。トランプ大統領は今年の国連総会で〝While others have promised strength, I have used it to make America the most powerful country in the world〟と述べたが、力を行使(use)することは「力による平和」の必然的な帰結ではない。
国家間の関係を扱い、究極的には「戦争を防ぎ、平和を実現する」ことを研究対象とする学問分野は「国際関係論」や「国際政治学」と呼ばれる。病気に対処するために「医学」が発展したのと同様に、戦争に対処するために「国際関係論」が発展してきた。「力による平和」も国際政治学者が提示する「物の見方」の一つであり、このように「力」を中心として国際関係を論じる立場を「リアリズム」と呼ぶ。
リアリズムに基づく世界の見方
リアリズムの世界観はやや悲観的である。国際社会はアナーキーだ(世界政府がない)という前提から出発し、それゆえ紛争が生じることを常態とみなす。中心概念は「力」(power)である。「力」とは必ずしも軍事力に限らず、資源や人口なども含むが、いずれにせよ軍事力は重要な要素である。
①国際社会は「無政府状態」で、②主要なアクターは「国家」である、③国際関係は競争的な権力政治にならざるを得ず、④手段として有効なのは軍事力だ、というのがリアリズムの物の見方である。
リアリズムの中にもいくつか細かい区分があり、「古典的リアリズム」の代表的な論者であるハンス・モーゲンソー(1904-1980)は、人間の本性は飽くなき権力欲であるとし、このような人間理解から国際関係を論じた。
一方、「ネオリアリズム」の代表的な論者であるケネス・ウォルツ(1924-2013)は人間本性だけでなく国家体制や国際システムといった「構造」にも着目した。また、「攻撃的リアリズム」の提唱者であるジョン・ミアシャイマー(1947-)は国家の本質は自国の安全確保のために力を拡大することであり、大国同士は覇権を巡って必ず衝突すると述べた。
いずれにせよ、世界政府が未だ登場しない以上、身を守るためには「自助」(self help)していくしかないという考えに行き着く。頼れるものが自分しかいないので、どうしても軍事力を増強することに繋がり、また近隣諸国と友好的な関係を結んでいくというよりは、自国を攻めてこないか警戒するという傾向になる。
では、リアリズムの世界観では力の弱い小国は滅びるのを待つしかないのか。そうではない。ここで登場するのが「同盟」である。
