目の前のことを一生懸命に考えない、やらない人ほど、遠い未来のことを夢想しがちです。目先のことをやらずに漫然と過ごす、そういう生き方をしていると、自分の不遇を他人のせいにしたくなってしまいます。
その時点、時点で、自分にとってどうにもならない境遇や実力不足は、あきらめる。ないものねだりはしない。そういうことに無理にしがみつかずに、いまできること一つひとつ、一歩前に進めるようにする。そういうことを十年単位で続けていると、いつか昔あきらめたことが、違った形で叶ったりもするのです。
私は学生のときは、英語の先生になりたいと思っていました。でも、大学であまりに英語ができなくて、挫折しました。とっても悔しかったのですが、それが何十年たって、(中学生2年生クラスの英語力の範囲で)『英語で読む 決算書が面白いほどわかる本』(中継出版)という英語の本を書くことができました。
30代のとき、公認会計士の試験に3回連続で落ちましたが、会社で経理・財務の道を一生懸命たたきあげ、本なども書いていたら、1994~97年に大蔵省(当時、今の金融庁)から公認会計士の試験委員(筆記・口述)に推挙されました。そこで私が3回連続で落っこちたことを公表して、もっと試験を易しくすべきだと言ったら、全国の受験生に喜ばれましたよ(笑)。
私は父親が54才、母親が41才のときの遅い末っ子だったということもあり、19才、20才のときに両親が相次いで亡くなりました。年の離れた兄にお金を出してもらって大学に行かせてもらったのですが、自分の給料で母親にショールを買ってあげたかったという気持ちがずっと心にありました。たまに母親が夢に出てくるたびに、ああ何もしてやれなかったと後悔していました。
でも55才をすぎたときに、ふっと、こう思ったのです。「私のような気の小さい情けない人間が、それでも人並みに勤めることができているのは、両親が早く死んでくれたからだ。私をしっかりさせるために両親は早くに亡くなったのだろう」。そう思った瞬間にショールのことは頭から消え、すごく気が楽になったのです。
ないものねだりはやめて、ないものはないんだと明るくあきらめて、ありのまま自分や運命を受け入れて、目の前のことを、一生懸命考えて一つひとつ取り組む。考える力はみんな親からもらっています。昼寝ひとつするのでも、本能のまま何も考えず寝てしまうのと、この30分は時間が空いているからトクしようと考えて昼寝するのとではまったく違います。自分で「考える」という主体性が、「あきらめる」力を生み、自分をかわいがることにつながるのではないかと思います。
――なるほど、そういうお気持ちで『気持ちよく働く ちょっとした極意』(日本経済新聞出版社)をお書きになったのですね。
Infinityの読者の皆さん、ぜひ書店で手にとってみてください。今日は金児さん、ありがとうございました。
(金児) 私のほうこそ、本当にありがとうございました。
<構成/文> WEDGE Infinity 編集部
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