そのくらいしないと、染みついた医療中心、医師が上位の意識は変わらないという。
慶友病院では、気管切開、経管栄養、複数のチューブやカテーテルで延命が図られていて今後さらなる延命を望んでいない人たちも受け入れる。延命のためには、一日1200キロカロリー以上の栄養、1000ミリリットルから1500ミリリットルの水分が必要になり、点滴や経管栄養や胃瘻などで体内に送り込まれる。ここでは、まずその量を減らし、同時にチューブ類も徐々に外す。すると一週間もたたないうちに体中の浮腫が消え、拘束が不要になる。
「体が軽くなった、楽になったという方がたくさんいます。80代や90代で心臓や腎臓が弱っている人には、送り込まれる水分や栄養が負担になっていることが多い。能力を超えたものが入ってきて、何とか外に出すしかない。その苦しみは大変なものなんです」
処理能力内に収めれば苦しみが緩和され、少量でも口から食べられるようになり、会話や食事の楽しみが取り戻せ、車椅子で散歩も楽しめるようになる。生活を取り戻した中で、静かに最期を迎えることができるというわけだ。一方、チューブを外せば病院側の仕事は一気に増える。痛みや苦しみを緩和し、誤嚥に気をつけ、体位を頻繁に変え、食事は飲み込みやすいようにさまざまな工夫をこらし、しかも少量ずつ何回にも分けるなど、人手も必要になる。人生最後の数カ月を少しでも心地よく過ごすには経費もかかる。保険が使えても利用者の負担額は決して安くはない。
「それぞれの状況も経済力も考え方も違いますから、あくまで選択肢の一つです。どういう形で人生を終えるかは、文化そのものなんでしょうね。ヨーロッパでは、自分でスープが飲めなくなったらそれ以上の延命はせずに静かに寿命を受け入れる。動物の死に近い形で、あまり苦痛は伴わない。最後は医者ではなく宗教者の出番になる。日本では、どう死ぬかということはあまり考えてこなかったんじゃないでしょうか。長寿時代に医療は何ができるのか、豊かな最晩年をいかに実現できるかが私のライフワークで、二つの病院での成果や見えた課題を社会に発信し続けていくのが私の役割だと思っています」