そのためには、まずは土地を手に入れる資金が必要だろう。そう思った大塚は、元手を作るために自らの生活を一新したという。
「まず1000万円貯めようと決めました。そのためには全部我慢する。土日も別の病院でのアルバイトを入れ、それ以外はすべて当直。休みなし。着る物も白衣のみ。楽しみは貯金通帳見ることっていう生活です」
その結果、2年で目標達成。それを元に、青梅近辺で土地探しを始めた。青梅はアルバイト先の病院があった縁と、土地が安かったから。そんなある日、不動産業者と知り合いの農協職員と相談中に、いきなり見知らぬ人が部屋を間違えて入ってきた。地元の農協の組合長だった。土地を探す目的を話すと、地主4人で1000坪の土地を何か有効活用したいと検討していたところだという。大塚はさっそく組合長の家を訪ねた。組合長は1000坪の土地を貸してくれた上に、病院を建てるための借入金の保証人にもなってくれたという。
「何もない自分をなぜ見込んでくれたのか聞いたんですよ。夜の回診を終えては家に押しかける私に、奥さんがいつもご飯を出してくれたんです。とにかく腹ペコだからね。どうも奥さんが、あんなに食べっぷりのいい人は見たことがない。信用していいんじゃないかって言ってくれたみたいなんです」
豊かな老後のために何ができるか
何が幸いするかわからないものだが、組合長もまた、自分の思いを懸命に話す若い勤務医にいつしか惚れこんでしまったのだろう。かくして80年に147床の青梅慶友病院が誕生。病床はすぐ満杯になり、3回も増築し、10年後には800床に増えていた。それだけ世の中に需要があったということである。
「でも経営は火の車。組合長さんに、人助けだと思ってどんどん頑張れと言われているうちに、借金が32億にもなってしまった」
必要以上に薬や治療を積み上げれば点数が稼げて収入が増える出来高払いの診療報酬制度の下では、大塚の理想とする方針では経営が苦しくなるのは見えている。10年間信念を曲げずに突き進んだ結果、借金まみれになった大塚を救ったのは、診療報酬に包括払いが導入されたこと。点滴や検査を抑え生活と介護に力を入れてきた大塚に、やっと医療保険からの援護が届くようになった。経営は安定し、増える需要に応えるためにより都心に近いよみうりランド内に2つ目の慶友病院が誕生。時代が、やっと追いついてきた。親に安心して最期の時を過ごしてもらいたいという思いで突き進んできた大塚も、今年73歳。
「自分が高齢になって、家族が親にしてあげたい医療、介護と、本人が求めることとの間のギャップに気がつきました。家族は親が身ぎれいにして、3食食べて、お風呂も毎日入れる状態が親の幸せと思うけど、本人にしてみるとけっこう面倒くさいし疲れる。家族が持ってきてくれた食べ物をいっぱい食べて、帰った後で具合が悪くなったりする人もいる。旅立つ人のためにいちばんいいことは何なのか。そのためにやらなければならないことは何なのか。そのための仕組みをどうやってつくれるのか。これからの課題ですね」