政府は6月30日、高市早苗政権で初となる「骨太の方針」の原案を示し、2027年度を「責任ある積極財政元年」と位置づけた。あわせて示された日本成長戦略では、「強い経済」の実現に向け、AI、半導体などの戦略分野に官民で大胆に投資する方針が打ち出された。従来の延長線上にない新たな経済財政運営への転換を掲げ、危機管理投資と成長投資を大胆かつ戦略的に進める考えを示している。
一見すれば、これは長期停滞を脱し、日本経済を再び成長軌道に戻すための政策転換に見える。物価高、経済安全保障、半導体やAIをめぐる国際競争の激化を考えれば、政府が成長投資を掲げることには一定の政治的説得力がある。
だが、ここで問うべきは、政府がどれだけ投資するかではない。問題は、国家が何を代替し始めるのかである。
1973年という転換点
この問いを考えるために、半世紀前のもう一つの「元年」を振り返る必要がある。1973年は、日本財政にとって一つの転換点であった。
田中角栄内閣が掲げた「福祉元年」は、高齢者医療費無料化、年金給付の拡充、社会保障支出の拡大を通じて、戦後日本の福祉国家化を大きく前に進めた。成長の果実を国民に還元するという政治的メッセージは、当時の有権者に強く訴えた。
だが、その後の歴史を振り返れば、福祉元年は単なる「優しい政治」の始まりではなかった。福祉国家の拡大は、家族、地域、相互扶助、市民社会が担ってきた生活保障機能を国家へ移転させる側面を持っていた。
国家は生活不安を引き受け、市民は国家に依存しやすくなる。福祉元年とは、市民を強くする制度であったと同時に、市民を保護対象として囲い込む制度の入口でもあったのである。
