2025年5月にイランの首都テヘランを訪れた際、イランは米国との協議に期待するムードであふれていた。
25年1月に発足した第2次トランプ政権は、4月にはオマーンを仲介国に、イランとの核協議を始めていた。5月中旬までに、イランと米国はオマーンやローマなどを舞台に4回にわたり間接協議を重ね、両国の間で何らかの合意が成立することへの期待が高まっていた。かねてよりイラン側から高い期待を伝えられていたテヘランの日本企業も、米・イラン協議の行方を注視していた。
米国がイランへの制裁を強化する中、日本のイランからの原油輸入は停止し、人口9000万人の市場を持つイランと日本の経済関係も大幅に縮小していたが、米・イラン合意は日本にも、様々な商機をもたらすものと見なされていた。
しかし、米国との第6回協議を2日後に控えた25年6月13日に、イランは突如、イスラエルによる奇襲攻撃を受けた。その前日に国際原子力機関(IAEA)の理事会が、イランは核不拡散条約(NPT)が定める義務に違反していると指摘する非難決議を採択したことが、攻撃の引き金とされた。この攻撃には米国も参加し、米国本土から出撃したB2爆撃機がイラン国内3カ所の核施設に「大規模な精密攻撃」を加えた。この「12日間戦争」を経て、トランプ大統領はイランに対し、無条件降伏を突き付けた。
米国のこの要求を、イランは却下した。しかし、第2次トランプ政権がイラン制裁を大幅に強化したこともあり、25年末にかけてイランの経済状況は急速に悪化した。イランの通貨リアルの急落にも起因する物価高に国民は苦しみ、26年1月にはイラン各地で大規模な反体制デモが発生した。イランのイスラム体制によるデモの鎮圧は、数千人の死者を出し、国際社会の非難を浴びた。
こうした状況は、イランのイスラム体制を長年にわたり脅威と見なしてきたイスラエルには、「レジーム・チェンジ」の好機と映った。イランはIAEAとの協力を制限しつつ核開発を進め、一方ではイスラエルの安全を脅かすハマスやヒズボラ、イエメンのフーシ派といった勢力を、長年にわたり支援してきた。
そのイランが25年の12日間戦争と米国による経済制裁で「弱体化している」という認識は、イランという脅威の除去を目指すイスラエルを勢いづけた。同国のネタニヤフ首相はトランプ大統領の説得にも成功し、26年2月28日に、両国は足並みをそろえてイランを侵攻するに至った。
